キリスト教のいろは

イースターってなあに

イースターとはキリスト教の記念日で、クリスマスの次に有名な日です。
(春分の後の最初の満月から数えて最初の日曜日に行われます)

イエスキリストが十字架に架かって死なれ、その三日後によみがえられたことを記念する日です。

そのエピソードが聖書にあります。

紀元33年にイエスが十字架に架かり死なれてから三日目の朝、いつもイエスと共にいた女性達三人が、
死を悲しみながらイエスの遺体に、香りのする油を体に塗るため墓に出かけました。

(当時は岩を掘って作った墓などに遺体を布で包んで安置する方法でした。そして遺体によい香りの油を塗る風習がありました。
また、イエスの場合は遺体を盗まれないように大きな石で墓を封印し、番兵を置いていました)

ところが、彼女達が墓に着いた時には、墓を封印していた大きな石は取り除かれ、その中のイエスの遺体はありませんでした。
途方に暮れている彼女らに天の使いが現れこう言いました。

「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを
私は知っています。ここにはおられません。前からいっておいたようによみがえられたのです。・・・」マタイ28

その後、イエスは弟子達に自分を現され、また一度に五百人以上の人にの前に自分を現され、
確かによみがえったことを示されてから天に昇っていかれました。

それから現在に至るまでイースターを祝っています。

イエスは「わたしはよみがえりであり、命です。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きるのです。」といわれました。
きっと不思議な言葉だと思われますね?

私達の体は死んだら、なくなりますが、霊は(こころ)なくなりません。
イエスを神の子と信じるものは、後の日に朽ちる事の無い新しい体を与えられて、永遠に天国で暮らす事になるのです。

イエスは神様に背いて罪を犯した私達の罪の身代わりとなられ十字架で死なれた後、
悪魔の武器である「死」に打ち勝つためによみがえられたのです。それがイースターの記念日なのです。

2024年03月08日

キリスト教会の始まり ペンテコステの日

キリスト教の3大記念日とは何でしょう。
それはイエスキリストの誕生日の「クリスマス」。
イエスが十字架に架かり死なれた後3日目によみがえられた記念日「イースター」
そして、その50日目に聖霊が下り、キリスト教会誕生に深く関わりのあるのが「ペンテコステ」の日です。

ペンテコステの祭の日になって、120人ほどの人々が集まって心を合わせて祈っていました。
すると、突然、天から激しい風が吹いてくるような大きな響きが彼らのいた家全体に響き渡りました。

それから、炎のような分かれた舌があらわれ一人ひとりの頭の上にとどまりまりました。
すると一人一人が聖霊の大きな働きを受けて、彼らが学んだこともない外国の言葉で祈り始めたのです。

もの音を聞いた人々は、何が起きたのかを知ろうとして彼らのいたところに集まってきました。
その中には、ペンテコステの祭に参加するために、外国から来ていたユダヤ人も数多くいました。
彼らはイエスの弟子たちが自分が住んでいる国の言葉で話すのを聴き、驚きあきれてしまいました。

イエスの弟子のリーダーペテロは弟子たちと立ち上がり、集まった人々にイエスが神様であることを証しし、聖霊のことを証しし、罪の悔い改めを勧めました。

その結果3000人ほどがイエスの弟子に加えられました。

そこから、教会が始まったのです。

聖霊は今も神を信じる者の中にいて、日々働いてくださるのです。

2023年11月23日

世界ではじめのクリスマス

~プロローグ~

11月にもなると早くも日本中クリスマスムードになり、店ではクリスマス商戦が始まります。
クリスマスはサンタクロースがプレゼントを持ってくる日、ケーキを食べる日、キャンドルサービス、
恋人と食事をする日、また人恋しく思う日など、人それぞれ様々なイメージがあるようです。

しかし本当のクリスマスとは、イエス・キリストの誕生を祝う日なのです。

今から2千年以上前、すなわち紀元元年にキリストは生まれました。
イエスが生まれ世界の歴史が変わります。
紀元前をBCと言いますがビフォアークライストつまりキリストが生まれる前
ADはキリストが生まれた後という意味なのです。

~クリスマスの物語~

聖書を開くと初めてのクリスマスの様子が次のように書かれています。

紀元前、イスラエルの国はローマ帝国に支配されるようになっていました。

そのころのイスラエル国のナザレという田舎町にマリヤという女がいました。
彼女は将来結婚を約束した相手がおり、名をヨセフと言いました。
ヨセフはイスラエル王家の子孫でしたが、今はおちぶれて、王族の栄光の影もなく、
大工を仕事にしていました。
その頃の大工は石を積んで家を建るので過酷な肉体労働だったように思われます。

はるか昔から、救い主(イエス)は王家の子孫から生まれると予言がありました。
そのとおり、イエスは王家の子孫として生まれるのです。

ある日、天使がマリヤに現れ「神の聖い霊によって身ごもり、男の子が生まれます、
その子をイエスと名づけなさい。」と告げました。
マリヤは、処女でしたので「男の人を知らない私にどうして、子供が生まれるのでしょう。」
と答えましたが、最後は天使の言うことを信じるようになりました。

ヨセフはマリヤが結婚前に妊娠したことを知り、婚約を解消しようと思い悩みましたが、
その後ヨセフにも天使が夢で現れ、成り行きを伝えたので、彼はマリヤを妻に迎える決心をしました。

それから数ヶ月後、ローマの初代皇帝アウグストから全世界の人に、
自分の生まれ故郷に帰って住民登録をするようにという勅令が発せられました。
これは歴史的な事実であると証明されています。

その為、婚約者のヨセフは身重のマリヤをつれて、生まれ故郷のベツレヘムという町に
帰ることになりました。
彼らが出発するときには、すでにいつ子供が生まれてもいいような体の状態でしたが、
ローマ皇帝の命令には逆らえませんでした。

やがてベツレヘムに着いた二人でしたが、住民登録のため人々があふれ、なかなか泊まる
宿が見つかりません。その上、赤ちゃんは今にも生まれそうです。
ヨセフはマリヤと子供の為に必死で宿を探しましたが、結局二人が泊まる宿屋が見つからないままで、
緊急に家畜小屋を貸してもらい、その家畜小屋でイエスが生まれました。
マリヤとヨセフは家畜のえさを入れるおけにイエスを布につつんで寝かせました。


さて、その夜ベツレヘムに羊飼いたちが、野宿で夜番をしていました。
そこへ突然天使が現れ、周りを照らしたので、羊飼いはひどく驚きました。
天使は「怖がることはありません。今日この町であなた方のために救い主が生まれました、
あなた方は、その子を見つけます」と言いました。彼らは大急ぎでヨセフたちを探し
はたしてそのとおりになったのでした。

しばらくして、東の方の国から3人の天文博士たちが人一倍輝く星に導かれて、
ベツレヘムへやって来ました。
星はマリヤの泊まっている場所の上に泊まったので、その場所を難なく見つけ、イエスを拝み
博士たちの大切な宝をプレゼントして国に帰って行きました。

~エピローグ~ イエスが生まれた目的

なぜ今日も世界中の人がクリスマスをお祝いするのでしょう。
それは、神がクリスマスの日にそのひとり子をこの世に送って下さったという知らせは
私たちにとって、とても良いニュースだからです。

事実33年後にイエスは私たちの罪の身代わりとして十字架にかかって死なれました。
私たちは罪をもったままでは天国へはいけません。
しかしイエスがすべての人の罪の身代わりに十字架刑で死なれ、
そのことを信じる者は、罪が許され天国にいけることが出来るようになるという、
私たちの救いの道を用意されたのです。
その始まりとなるのがクリスマスなのです。

私たちの罪とは何でしょう、刑務所に入れられるような罪だけが、罪ではありません
うそをつく事、親に背くこと、殺意、ねたみ、等 何よりも神を神として認めない生活なのです。
このような罪を生まれて一度も犯したことが無い人はいるでしょうか。

父なる神は、そのひとり子イエスを罪の身代わりにされたほどに私たちを愛されています。
これはイエスを信じるものが、すべて救われるためなのです。

終わり

2023年11月23日

収穫祭の日の出来事

これは、紀元33年に起った真実の話です。

イエスが十字架に架かって死なれ、その三日目によみがえられてから更に50日目のことです。

その日はユダヤの三大祭りのうちの「収穫感謝祭」の日で、朝の9時前ではありましたが、町は人であふれ、活気に満ちていました。

そんな中、ペテロは他のイエスの弟子達120人程と、一つの家に集まって祈っていました。

そして彼は、ここ50日の間に起こったことを思い出していました。

~ペテロはイエスが十字架に付けられた時、その場にいませんでした。

なぜならペテロは、イエスの弟子という事で、見つかれば一緒に十字架に付けられて殺されるかも知れないと恐れていたからです。
また「イエスと共に死ぬ覚悟さえある」と言ったはずだったのに、いざという時には三回も「イエスを知らない」と否定したことで、イエスにも会わす顔がありませんでした。
その時のペテロは、人から隠れながら、死への恐れ、恥ずかしさ、自分の惨めさ、罪悪感、絶望で満ち、ふるえ、おののいていたのです。

しかし、イエスが死から復活され、何度も彼に個人的に対面された時、彼は驚きと共に心から喜びました。
イエスから「私を愛するか」と聞かれた後、ペテロはイエスに全てを赦されている事を悟りました。

彼らが、ここ「エルサレム」にいるのは、イエスが天に上る前にペテロ達に「エルサレムを離れないで、聖霊を受けるのを待つように」と言われたからでした。

そして、イエスがみんなの見ている中で天に昇られてから、すでに10日経ったことを思い起しました。~

突然のことです。
天から激しい風が吹いてくるような「ごおーっ」といったひびきが起こり、彼らのいた家全体に響き渡りました。

直後、炎のような分かれた舌のようなものが現れて、ペテロ自身や回りにいた弟子達の頭の上に止まりました。
そのとたんに彼らは喜びに満たされました。そして、なんと他国のことばで話し出しました。
ペテロ自身、彼の知らない言葉が次々に口から溢れています。
他の弟子達もそれぞれが知らない言葉で喜びながら語っていました。

この物音に何事かと人が集まってきました。人が人を呼び彼らの家の周りは人で溢れかえりました。

集まった人の中には、昔、外国に住んでいてエルサレムに移り住んでいる人たちがいましたが、彼らがそれぞれ自分達の住んでいた国のことばで話すのを聞いて驚きました。
なぜなら弟子達はイスラエルのガリラヤ地方の出身者がほとんどで、外国の言葉を知っているはずの無い人たちばかりだったからです。

「一体これはどうした事か」と驚いている群集に向かって、ペテロは11人の弟子たちと共に立ち上がり話し始めました。
その時、ペテロの心は喜びが満ちて、もはやあの時の恐れや、恥ずかしさはありませんでした。
そして人々に語るべき言葉が出てきました。

聖霊が下ることが予め聖書に予言されていたこと。イエスが行われたこと、そして十字架に架かられたわけ、復活されたわけ、そして罪の悔い改めの勧めを大胆に話しました。

ペテロの力強い言葉は、まるでダイナマイトが破裂したように人々の心に広がり、その日一日で三千人がイエスを信じ、弟子の仲間に加えられました。

これがイエスが言われた「聖霊」が一番初めに人に臨んだ時の情景でした。
そして、ここから「キリスト教会」が始まったのです。

それ以来、イエスを神の子と信じるものの心に聖霊が住み、私たちと親しく交わってくださっているのです。

聖霊の性質は聖書に次ぎのように書かれています。
「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」

「聖霊があなた方の上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

イエスが十字架に架かったのは、私たちの罪の身代わりのためでした。
イエスが復活されたのは死に打ち勝つためでした。
そしてイエスが天に帰られたのは、聖霊が私たちのこころに住んでくださるため、私たちの助け主となるためなのです。

2023年11月23日

十字架から3日目の出来事

これは、紀元33年に起った真実の話です。

イエスが十字架に架かって死なれたのは金曜日で、アリマタヤのヨセフという人が、その日のうちに彼を自分の墓に納めました。

その墓は、ヨセフが自分のために新しく作ったもので、大きな岩をくり貫いた立派な墓でした。
イエスの遺体は当時の風習のとおり、亜麻布に巻かれ、墓に安置されました。
そして、墓の入り口には、大きな石が転がされて封印され、人が出入りできないようにされました。

その上、ユダヤ人の指導者たちは、イエスが「自分は三日目によみがえる」と言っていたのを思い出して、まさかとは思いながらも三日間ローマ兵を墓の番人に付けることを願い出ました。

イエスが十字架にかかって死なれてから三日目の日曜日の朝早く、マリヤたちは彼が葬られた墓へ急ぎました。
この時代の風習に従って遺体に香油を塗るためでした。

彼女たちは、愛と喜び、安らぎ、希望で満たしてくれたイエスを失った悲しみと、これからどうなるのだろうという不安とで、絶望のどん底にいた事でしょう。

そんな思いを引きずりながら、彼女たちが墓の手前まで行くと、突然大きな地震が起こリました。
ちょうどイエスが十字架の上で息を引き取った時も地が揺れ、岩が崩れるような大きな地震があったので、その時の恐怖がよみがえりました。

揺れが治まり、彼女達が気を取り直して墓の前まで行くと、墓のすぐ横に、まばゆい光のような人の姿が見えました。

また、墓の見張りをしていたローマ兵たちが、まるで死んだように倒れています。
よく見ると、彼らは血の気を失い、顔が青ざめ、まるで痙攣したように、細かく震えていました。

数分前、ローマ兵たちは突然上のほうから、鋭い光がさすのを見ました。
何事かと上を見た瞬間、いなずまのような光とこれ以上の白さは無いほどの服をまとった天使が降りてきて、封印された墓の石をいとも簡単に脇に転がし、その上に座るのを見たのでした。
その光景に圧倒されて非常に恐れ、いっせいに倒れてしまったのです。


この天使は彼女たちにむかって言いました。
「恐れることはない。あなたがたが十字架にかかったイエスを捜していることを、わたしには分かっているが、もうここにおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。
そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、
『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』あなたがたに、これだけ言っておく」。
そう言って、天使はまばゆい光と共に天に昇っていきました。

この出来事に、彼女たちは動揺しながら、おそるおそる墓の中に入ってみました。
確かにイエスが置かれたはずの場所にはイエスは見当たらず、亜麻布だけが置かれてありました。
彼女たちは感じました「確かに彼はよみがえられたんだ。」と

そこで彼女たちはこの出来事に恐れながらも、イエスがよみがえられたのを知って、大喜びで急いで墓を後にしました。
一刻でも早く弟子たちに知らせなければと思ったからです。

そのとき突然、イエスが現れました。
それは確かに、あの時十字架につけられて、息を引き取られたはずのイエスでした。
彼女たちはその場に居て、墓に納められるまでを見届けていたのですが、
今確かにイエスが生きて彼女たちの目の前に現れたのです。
実際に、イエスを目にした彼女たちは、心に驚きと喜びが同時に溢れ、戸惑いました。

それを見たイエスは「平安があるように」と言われました。
やがて彼女たちは落ち着き始め、驚きつつも近寄って、イエスの足を抱いて拝みました。
そのとき、イエスは言われました。
「恐れることはない。行って兄弟たちに、『ガリラヤに行け、そこでわたしと会えるであろう』と告げなさい」。
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その後、その言葉のとおり、イエスはガリラヤで弟子たちに会われ、そのほか多くの人に会われたのち、人々の見ている中で、天に昇っていかれました。


イエスは十字架にかかられ身を持って愛を示されたように、この復活によって身を持って死に打ち勝つ事を示されたのです。
人の体は時が来れば死んで朽ちますが、霊は永遠に生きます。
そして、かの日には復活したイエスのように新しい朽ちない体が与えられると聖書に書いてあるのです。


イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
                                      ヨハネの福音書  11:25

2023年11月23日

十字架の上の出来事

これは紀元33年に起こり、今も語り告げられる真実の話です。

金曜日の午前9時頃のことです。
打つ度に体の肉をもえぐるといわれるローマ式の鞭で何度も打たれた彼は、
既に取り返しのつかないほどの深い傷を体中に負って血だらけでした。

「どくろ」と呼ばれる地で、ローマ兵は彼を十字架の上に乗せた後、荒削りの木に両手を押し付け、手のひらに一本ずつ太い釘を打ち付けました。ハンマーが振り下ろされるたびに血が飛び散りました。
また足にも太い釘を打ち付けられました。頭には「いばらの冠」を押し付けられ額からも血が滴りました。
全身に燃えるような激痛が走りつづけた事でしょう。

 その地方の総督ピラトが言ったように彼には罪は見つかりませんでしたが、
 宗教学者などのユダヤ人達の脅しに負けたピラトは、ついには十字架の刑を言い渡しました。

釘を打ち終わった、十字架はやがて高くがかげられました。
そして、ローマの兵士や彼をののしる人達の前に見せ物となられました。
彼の周りは敵だらけでした。彼の味方は自分も捕まることを恐れ、ほとんどが逃げ去っていました。

 ユダヤ人達は彼が「神を冒涜した」と怒り狂い、彼の行った驚くべき愛や赦し、癒しの奇蹟を無視しました。

十字架上で手で体を支える形になったので、体を少しでも上に上げないと肺を取り巻く胸郭が圧迫されて呼吸が出来ません。
彼が力を振り絞って、体を上げようとすると、釘の刺さった手のひらと足の傷が開き血があふれ出します。
力尽きて、体を下げると呼吸が苦しくなり・・・こんな事を何度も何度も繰り返すのです。

 彼はこの日十字架で苦しみを受ける事をあらかじめ知っていましたから、この苦しみを逃れようと思えばいく  らでも出来ましたが、彼はしませんでした。
 それは彼が自分を捨てて、私たち全人類の罪の身代わりとなって罰を受けるためでした。

そんな状態の中で彼の発した言葉はどんなものだったのでしょうか
「父よかれらをお許しください。彼らは何をしているのか分からないのです。」
 彼は自分を十字架に付け、つばをかけあざけった敵をも赦しました。

また、この世界の全ての醜く汚い「罪」が、「どくろ」といわれる地にいる彼の全身に降りかかってきました。
この「罪」は彼が今まで一度も犯したことが無く、もっとも彼の嫌うものでした。。
十字架の上で彼はまさに「罪人」となったのです。
この時の彼の思いを私は図り知る事が出来ません

 彼は自分の弟子だけでなく愛し信頼する天の父にも見捨てられました。
 彼の天の父はこの事を冷静に眺めていたのでしょうか。
 我が子をこの十字架から助けようと思えばいつでもできた事でしょう。
 しかしあえて、天の父はそれを忍びました。それは私たちを愛しているからに他なりません。

天の父に見捨てられた事を悟った彼は、「我が神、我が神どうして私をお見捨てになったのですか」
と叫びました。かっては「父」と呼んでいましたが、もはや「父」とは呼べませんでした。


こうして彼は六時間の間苦しみぬいて「完了した」と叫び息を引き取られました。
これは私たちの救いへの道・天国への道が出来上がったという事なのです。

最後に彼の死を確かめようとローマ兵がわき腹を槍でさした時、そこから血と水が分かれて出てきました。
心臓が張り裂けた証だったそうです。
この十字架刑の一部始終を見届けたローマ兵は「この方は誠に神の子であった」と言いました。


「神は実にその一人子をお与えになったほどにこの世を愛された。それは御子を信じるものが誰一人滅びることのないためです。」
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」
聖書より

2023年11月23日

3分でわかるキリスト教

プロローグ

 はじめに神が地球と宇宙を造った

 遥か昔、地球も何も無かったころ、神が地球と宇宙を造られました。
 この自然や植物、動物、人間は偶然に突然現れ進化して今の形になったのではありませんでした。
 その造り主こそが私たちの唯一の神なのです。

 人が神の命令に背いた
 神は愛する対象として人間を造りました。 初めの人をアダム、その妻をエバといいます。
 神はその二人を最高の環境のエデンの園に住まわせ、一つだけルールを与えられました。
 そこへ悪魔が来てエバをそそのかし、ついに二人は神から与えられたルールをやぶってしまったのです。
 その為、罪が人類に入り、罪のため人が死ぬようになりました。
 罪は取り返しのつかない代物なのです。

1。イエスの誕生

 聖霊により処女であるマリヤは身ごもり、イスラエル国のベツレヘムという村の家畜小屋で
 イエスは生まれました。神の子(救世主)の誕生です。
 イエスが処女から生まれたのは、アダムより受け継がれた人間の罪の遺伝を断ち切るためでした。
 それが紀元元年クリスマスの日なのです。

2。イエスのおられた時代背景

 そのころのイスラエル国はモーセの律法というものが、法律であり生活基準でした。
 もちろん現在のイスラエルも隅々にそれが生きています。
 その法律を管理監督しているのが律法学者やパリサイ人と呼ばれる宗教指導者で
 支配階級の人たちでした。
 彼らの多くは偽の善を行って、それを人々に見せ付けるような人たちでした。
 また、イスラエルはローマ帝国の支配下に置かれていて、イスラエルの人々はローマ帝国の
 支配から解き放ってくれる人、すなわち救世主の到来を心待ちに、待っていました。

3。イエスの活動

 イエスは30歳になった時、宣教活動をはじめ、また人々の病気を癒すなど、さまざまな
 奇跡を行われました。
 十二人の弟子とともに、さまざまな町々を訪問され人々に愛を示されました。
 人々はイエスの評判で大騒ぎでした。

 面白くないのは律法学者やパリサイ人でした。
 イエスが神の子であるという評判を聞きました。
 しかし、彼らは「イエスが神の子であるはずがない、自分を神と同等とするとはなんという高慢な奴だ」と思ったのです。

 また、イエスは偽の善を行っている律法学者たちを正義をもって公然と非難されました。彼らの痛いところを付かれたのです。
 その為、律法学者たちは今まで人々を支配してきた立場が危うくなりました。
 
  ついに、律法学者たちのリーダーは会議でこう言うようになりました。
 「イスラエル人達がローマの支配下から抜け出すためにイエスを王にまつり上げ、暴動を起こすのではないか、
 あるいはその前にローマ帝国が攻め来てイスラエル国が、めちゃくちゃにならないかと心配だ。
 また、イエスはわれわれの指導に逆らい、新らしい教えと奇跡で人々をそそのかし、われわれの立場も危うくされている。
 イエスに死んでもらえばすべて解決する」と。

 そして何とかしてイエスを殺そうとたくらむようになりました。

4。十字架に掛かる

 弟子の一人ユダの裏切りによりイエスは、律法学者の議会に引き出されました。
 彼らのねたみにより、ついにローマ帝国の総督のお墨付きまでもらって
 イエスを十字架刑にかけることになったのです。
 イエスは生まれてこのかた罪を犯されませんでしたが、十字架で死なれたのです。
 これは、アダムが罪を犯して以来、未来に至るまで人間の犯した罪を神の子イエスが
 身代わりになって死ぬ為だったのです。

5。イエスのよみがえり

 十字架刑の三日後イエスは生前にみ自ら予言したとおり、よみがえり、弟子たちに姿を現しました。
 よみがえられたのは、悪魔の最後の武器である「死」に勝つためでした。
 そして何千人の人たちに自分の復活を表した後、人々の見ている前で天に昇られました。
 今はイエスは天におられますが、代りに人々のこころの中に聖霊を住まわせ、導いておられます。

エピローグ

 私たちは罪のため死ぬしかないのに、このことを信じるだけで永遠の命の天国へいけるのです。
 ちょうど、母親に抱かれてすやすやと寝ている赤ちゃんのように安らげます。
 罪とは、犯罪を犯し警察に捕まることだけではありません。
 人をねたむ心、盗むこと、うそをつくこと、高慢なこころ、親に逆らうこと、陰口、殺意 等で 
 そして何より本当の神を神と認めないことなのです。
 人は自分の力で生きているのではありません、神様の一方的な愛と恵みによって生かされています。
 神の存在は一言で言うと愛なのです。
 あなたは神様に愛されています。神様の愛をもっと知りたいと思いませんか。

 「神は実にその一人子(イエス)をお与えなったほどに、この世界を愛されました、それは
 御子イエスを信じるものが、誰一人として滅びることが無く永遠の命を得る為です。」聖書
 

2023年11月23日