「信じるものは救われる」という言葉の本当の意味

「信じるものは救われる」と言う言葉がありますが、その意味は人によっていろいろな理解があるようです。
いろいろに読みとれるのは、おそらくこの言葉に主語がないからではないでしょうか。

「○○」を信じるものは救われる
貴方なら○○の主語の部分に何を入れられるでしょうか

たとえば「自分」「家族」「お金」「友人」などが当てはまりますか

それらも、確かに必要なものだとは思いますが、それらは結構不確かなものだと思うのです。

例えば自分を信じて会社を興し、成功している間は、お金も家族も友人も寄って来ますが、失敗してしまうと、お金も家族も友人も、自分から去って行き、何もかもが信じられなくなるという話もよくあることですね。

実はこの言葉の主語は「イエス」なのです。

聖書には「主イエスを信じなさい、そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」
という言葉があります。

聖書の言うイエスを「信じる」という意味はイエスが神様のひとり子で、私たちの罪のため十字架に架かって死んで下さったことを信じるという事です。そしてその三日目に復活されたことを信じることです。

次に「救われる」という状態は、イエスを信じたことによって、今まであった心の中の不安や恐怖、困難から開放され、代わりに平安な気持ち、喜びの心を与えられ続けるということだと思います。

また、人はいつか必ず死にますが、死んだあと、神様に裁判を行われることが定まっています。
つまり有罪なら地獄へ、無罪なら天国へ行くのです。
その時、神様から無罪とされた人は「救われている」のです。

私たちが救われる為の条件は人の努力や修行や悟りによるのではなく、ただイエスを神の子と信じることだけが条件なのです。

イエスを「信じた」時から、神様に罪の無い者とみなされ、神様に守られて、将来の希望が与えられ、互いに愛し合うという、「救われている」人生を過ごし、そして、死んだ先も天国へと導かれて行くのです。
神様は決して、私たちを見捨てられません。
関連参照文 ↓↓
救われたと言う事は助かったということ ・ 神様を信じるってどういうこと
罪について ・ 3分で分かるキリスト教