神様を信じる(信仰)ってどういうこと?


クリスチャンでない友人で「悔い改めよ」とか「信じる者は救われる」などの
キリスト教のキーワードを知っている人がいました。
へえ~と感心しましたが、意味まで知っていたかは疑問です。

では、「信じる」ということはどういうことなのでしょうか

信じるということは、意識している、していないにかかわらず
信じる対象を受け入れて信頼するということだと思います。

私たちは無意識に信じていることがありますね。
例えば「電車は定刻どおりに来るだろう」とか、「今月の給料ももらえるだろう」とか、
「家族や両親は自分を愛してくれているだろう」とか、「お金を払えばおかずを売ってもらえる」等で
これはほとんど、その人の信じているとおりになっているはずです。

また、「勉強をこれだけやったのだから入学試験が受かるはず」とか
「野球選手が、これだけ練習したから今日は必ずヒットを打てるはず」とかは
自分の経験、主観によって信じるものですね。
これは先に述べたのよりは、そのとおりになる確率はわりと低いのかも知れませんが
おそらくその人の信じているとおりになることでしょう。


このように今までの経験や目に見えて、日常で行われていることは誰でも
簡単に信じることがてきるのです。

一方、目に見えないもので確かに存在し、しかもとても大切なものがたくさんあります。
たとえば空気・友情・希望・愛などですね。

そして神様も目には見えないですが、確かに存在され私たちを愛しておられます。

では、目に見えないのになぜ存在され私たちを愛しておられると分かるのでしょうか?
それは神様からのラブレターである「聖書」により分かります。
しかし、神様の言葉を信じられるかどうかが問題であり、見えないからこそ「信じる」
という事の本領発揮となるのです。

神様を信じるということはどういうことなのでしょうか。
神様の何を信じるのでしょうか?

それは「イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

ということを信じることです。

すなわち全知全能の創造主である唯一の神様が存在され
私たちが神様に背いた罪のため、滅びるしかない運命だった私たちを、
神様がその一人子イエスをこの世界に遣わし、私たちの罪の身代わりとなって死んでくださり
三日目によみがえられた事。
神様のもとに来るには、このイエスを信頼して受け入れることが必要なのだということ知る事なのです。

その結果、信じた人には「この方(イエス)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、
神の子どもとされる特権をお与えになった。」と書かれています。

信じる人はさらに神様の存在と愛を体験するようになり、これを人々に「証し」するようになるのです。

神様を受け入れて信頼するなら、心にやすらぎが与えられ、私たちに起こる全てのことを、
私たちの益としてくださいます。(物質的なもの、心の平安等)

あなたもぜひ一度教会に来て、たずねてみてください。


「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11:1)