宣教師の思い出 その3 
15年くらい前のことである。
ドイツから来られた女性宣教師のRさんという人がいた。
ある日、彼女はこんなことを話してくれた。
「この前、とてもチョコレートが食べたくなり、神様に『チョコレートが食べたいです』とお祈りしました。
そしたら、ある人が『チョコレートどうぞ』と持ってきました。
びっくりしました。神様はちゃんと聞いてますね。」
うれしそうに、ほほえんで話してくださった。
あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。聖書
宣教師の思い出 その2
15年くらい前の話である。
ニュージーランドから来ていた宣教師夫妻がいた。
ご主人のJさんは、歌とギターの賜物を神様からいただいておられ、いつも賛美がすばらしかった。
彼はある時こう言った。
「私は今、12弦のギターがほしいです。与えられるようにお祈りしています。」
ふつうギターは6本の弦である。12本の弦のギターなんてあるんだ。へ〜。
彼によると、12弦のギターの音色はとても良いとのことだった。
しばらくすると、彼はあたらしいギターを持ってきた。
うれしそうに私に見せてくれた。
わあ〜12弦のギターだ!初めて見た。
どうやって手に入れたのか聞くと、彼はこう言った。
「大型ごみの中から見つけました。」
そして嬉しそうにギターをかき鳴らしておられた。
感謝をもって主に歌え。立琴でわれらの神にほめ歌を歌え。聖書
宣教師の思い出 その1(By 近頃よく書く妻)
15年くらい前の話である。
オーストラリアから来ていたRさんという女性宣教師がいた。
母国に帰国される前、こう話された。
「私は、オーストラリアに帰ったら、子供たちに、日本の鯉のぼりのことを話してあげたいです。
なぜなら、風が吹いていない時は、鯉のぼりは動きません。
でも風があるときは、いつも元気に泳いでいます。
しかも、その風は鯉のぼりにとってはいつも向かい風なのです。
風が強いほど、鯉のぼりは力強く、たくましく泳ぎます。
子供たちに、これからの人生で、向かい風に遭うとき、いつも鯉のぼりを思い出してほしいのです。
そのために、どうか鯉のぼりが手に入りますように、とお祈りしていたら、大型ごみの日に、鯉のぼりを見つけました。
これでオーストラリアへ帰ったら、子供達に教えることができます。」
またRさんはピアノがとても上手で、聖歌529番をすばらしく弾いておられたことが忘れられなかった。
聴いたのは一度きりだったけれど、15年を経て、ようやく私も弾けるようになった。

お詫び (By 近頃よく書く妻)
最近、仕事で忙しい主人に代わり、ホットコラムを時々書いている。
主人が私にも書くように何度も勧めるので、書き始めた。
ずいぶん前に女優の安達祐実さん主演のテレビドラマで「家なき子」というのがあった。
彼女の名セリフが「同情するなら金おくれ」であった。
今まではそれを真似て、仕事から帰るとテレビかパソコンばかりする主人に向かって
「パソコンするなら会話しろ」と言ってきた。
そのたびに主人は「え〜ん」と泣いていた。
今まで泣かせたおわびもあり、ホットコラムを書いている。
今では二人でお互いの原稿を見て、チェックしたり評価している。
楽しくもあり、厳しくもある。未熟者同士、お互いのためになっている。
鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。 聖書
ある日の出来事 (By 近頃よく書く妻)
今日は主人にうそをついた。
この日は、前日から計画して、ある所にでかけた。
夕食のとき、「今日はどう過ごしてたの?」と聞かれて、とっさに「今日は外出したら、たまたまこうなって、成り行きでこんな所へ行くことになって、行ってきた。」と、こんな具合に返事した。
自ら望んで行ったというより、仕方なく行ったという事にしたかったのである。
さて、夕食のあと、主人の仕事のことで二人でいっしょにお祈りすることになった。
さあ困った。うそをついたまま、神様にお祈りするわけにはいかない。
どうしよう〜。くっ、くっ、苦しい〜。やっぱりあか〜ん。
それで、「ごめん、さっき嘘ついた。これこれしかじか。。。ゆるしてくれる?」と白状した。
夫は「いいよ」と言った。ゆるしてもらって、じ〜んとした。
自分の口と舌とを守る者は、自分自身を守って苦しみに会わない。(聖書)
ご存知「水戸黄門」にまつわる話
父は水戸黄門という国民的テレビ番組が結構好きで、よく家族一緒に見ていた。
(今も父が見ているかどうか知らないが・・・)
ストーリーは皆さんご存知のとおり、毎回同じで旅の途中に出会った弱い立場の庶民を助け、悪いやつらを懲らしめた後、実は自分は身分の高い人物だった事を印籠で証明し「恐れ入ったかぁ」と終わる。
また、テレビを見ている視聴者も黄門様が初めから身分が高いことを知っていて、黄門様の身分を知らない悪党に印籠を見せた瞬間、にやっと微笑み、画面の悪党に向かって、「ご老人の正体を知らなかったやろ、恐れ入ったかぁ 正義は勝つのだ。がっはっはぁ」と心で思うのである。
実際の黄門様は、旅に出た事がほとんど無いらしいし、もともと作り話だが、あえて話を続けると、写真の無かった当時、一般の庶民は水戸黄門の顔は知らないはずなので、あの印籠が無ければ「わしは水戸黄門だ」と言ったところで証拠も無く、相手に信じられなければ「ただの身なりのよいご老人」となる。
いかに助さん格さんが強くても、シンボルマークの印籠を出さなければもの足りないのである。
ところで、キリスト教のシンボルマークといえば十字架となる。
クリスチャンが、がんばって慈善活動をしようが、正義を貫こうが、「十字架の愛」をよく知っていなければ、その人は「ただの人のよさそうな、おじさん」となるのである。
「十字架の愛」は奥が深く、知れば知るほどありがたいものなのである。
自分がどれだけ知っているか、また知らないかは計り知れないが、折りに触れて教えてくださると思うのである。
人生は楽もあれば苦もあるものだけれど、神様を頼りに生きるものは「すべてを働かせて益となる」と聖書に書かれてある。
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クイズです。
黄門様に黙っているように言われたのに、うっかりしゃべってしまう性格の持ち主は誰でしょう?
答え 格さん→かくさん→隠さん・・・
特別な人
クリスチャンはいろいろなことを神様にお祈りする。
私は39歳で結婚した。それまで結婚について、いろいろなお祈りをしてきたけれど、ある時こうお祈りした。
「神様、わたしは琵琶湖が好きなので、いつも見て暮らしたいです。
滋賀には、家族もいるし、友人もいるから、ここにいたいです。
相手はクリスチャンで、サラリーマンがいいです。
ふつ〜う(普通)の人がいいです。」
そう祈ったことをすっかり忘れていたのだけれど、それは神様の御心(みこころ)にかなったようで、しばらくして、主人と出会い結婚した。
もちろん、家族、友人のたくさんのお祈りと励ましに支えられてきた。
今も私は滋賀に住んいて、家のそばからは琵琶湖が見える。
自転車で10分走れば、湖岸に着く。家族、友人にいつでも会える。
そして、私の目から見ると、主人はとてもふつ〜うの人だ。
最近、主人に「あなたほどふつ〜うの人を私見たことない。」と言った。
すると、主人は答えた。
「ぼくは特別な人や。ぼくほど特別にふつうに造られた人は、なかなかいーひんで〜。」
神様は、そこまで私のお祈りをきいてくださったのかー。すごすぎる。
そして、二人で顔を見合わせて大笑いした。
長生きしよう(管理人妻 談)
先日、NHKの番組に日野原重明さんが出ていた。
その方は聖路加国際病院の院長で、95歳で現役の医師で、また、クリスチャンである。
その方がこう言われていた。
「人は失敗するものなんですよ。でも長生きして取り返せばいいんです。」
お〜、そんな方法があったんだ。私はとても感動した。
主人のおじいちゃんは98歳、おばあちゃんは100歳、その血をひいて、おそらく主人も長生きするだろう。
私たちは晩婚で、遅くに結婚した。
日頃、主人は、もし私が主人より先に天へ召された場合、「ぼく一人で生きていけへん。すぐに次のお嫁さん探す。
アブラハムも再婚したし、いいやろ?。次は若〜い、若〜い人探すも〜ん」と言っている。
今日から私は長生きすることにした。
夫の言い分
冗談に決まってますがな
なんとなく近道・・・(管理人妻 談)
今朝、大津市から実家のある守山市へ車で、でかけた。
父が畑で作っている、おいしい野菜をもらうためである。
いつもは遠回りだけど、交通費節約のため国道を利用する。
けれども、今日は国道が混んでいたので、近江大橋(150円)を利用し、琵琶湖を渡るという近道で行く事にした。
近江大橋を渡るすこし手前の道で、Mさんの顔が、なんだか心に浮かんできた。
Mさんは、私が結婚する前に通っていた守山市にある教会のメンバーで、70代の女性の方だ。
「そういえば、今日は教会で集会があるな〜。ひょっとしたらMさん行くのかもしれない。」
そう思い、近江大橋の近くにあるMさんの家に寄ってみた。
家につくと、ちょうど教会へ出かけようとしておられるところだった。
「うれしい。車に乗せてくれるの?実は、今日はちょっと疲れ気味だったん。」
そして二人で「よかった、よかった。」と言って、守山市へ行った。
道中、Mさんに心温まるいろいろな話を聞かせてもらった。
神様は、今日のMさんの体調のことを思い、私に迎えに行くように導かれたのだろう。
国道が混んでいたのも、なんとなく近道で行く事にしたことも、それでよかったのだと思った。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」聖書
主婦のささやかな幸せ (管理人妻 談)
ある日、主人とレストランで食事した。
帰りにコーヒー100円券を一枚もらった。
めったに行かないレストランなので、その券を教会の若い女の子にプレゼントした。彼女はよくそのレストランに行くので、喜んでいた。
よかった。
数日後、主人と越前海岸へドライブに行った。敦賀湾がきれいだった。
日帰り温泉(漁火)に入り、家族のお土産に魚を買ったら、福引券をもらった。
抽選会場へ行って、並んでいると、見知らぬ人が二人、「これ、余ったから使って。」と福引券を二枚くれた。
おかげで、一回しかひけないはずが、二回ひけることになった。
主人にガラガラを回してもらったら、二回目に1000円分の買い物券が当たった。
おかげで、また魚を買うことができた。
なんだか、コーヒー券のことが思い出され、天から祝福が10倍になって帰ってきたようで、うれしかった。
神様ありがとう。
蓮の花を見に行った

滋賀県草津市の琵琶湖畔に蓮の群生しているところがある。
妻のお気に入りの場所で、今年も暑い中、見に行った。
僕の予想では、満開のハスであったが・・・
盛りを過ぎたようで、そんなにたくさんは咲いてなかった。
でも大きくて綺麗な花が誇らしげに存在をアピールしていた。
カーナビ
先日の午後、大津市から京都市にある教会に、車で一人ででかけた。
一度しか行った事がなかったのであまり場所を覚えていなかった。
車に乗って、目的地をカーナビにセットしてから出発した。いつもと違う道から向かうことになった。
(いつもと違う道から向かったのは、家から少し離れたところで、カーナビをセットしたからである)
出発してからまもなくの事。
カーナビに従って大津市内を走っていたら、「まてよ、この方向は京都に向かっていないな」と気付いた。
地元なのでなまじ知っているだけに、適当にあっちの方角だろうと思い、軌道修正して走っていたら知らない道に出てしまい、結局元来た道をぐるっと大回りして、時間を食ってしまう事になった。
こんなに良く知っている地元のところで、私はいったい何をやっているのだろうと、ひとり苦笑した。

そういえば、妻との初デートした時も、目的地をカーナビにセットしておきながら、途中で道に迷った事を思い出した。
そのデートの後、妻は友人に「カーナビをセットしておきながら道に迷ってはった。こんな人どう思う?」と報告したそうである。
その友人は妻に「そんな人やめときなはれ」とアドバイスしたそうである。
「世界宣教体験へようこそ」
先日ジーザスフェスティバルというものに参加した。
滋賀県内のキリスト教会が近江八幡市の「近江兄弟社学園」に集まって、合同集会や、コンサート等に参加し、楽しもうという内容だ。
そのプログラムの中の一つに「世界宣教体験へようこそ」というブースがあり、試しに参加してみた。
(世界宣教とは外国へ行ってキリスト教を述べ伝える事)
入り口で手書きのパスポートを見せてから入場し、出るまでにわずか五分もかからないコースだけれど、いろんなことを教えてもらった。
私たちは当たり前に飲んでいる水だけれど、外国には安心して、安定して水が飲めるとは限らない。
その為に宣教師は宣教する前に(あるいは、宣教しながら)井戸を掘ったりしなければならない場合や、時には大工をしたり、言葉を教えたり、勉強を教えたり、教わったりと宣教の始めに本来の目的以外の事も一通りこなす必要があるそうだ。
また、食べものに虫が入っていたりする場合もあるようで、米と虫とを分けながら食べたりする練習を体験した。
水も体に合うとは限らないだろうし、健康の面も丈夫な体が要求されそうだ。
ブースの真ん中に三通りの外国に行った設定があり、私の場合はインターネットの先生にキリスト教を伝えるという設定だった。(中国へ行った設定なのだろうか?)
まず、お金を払って先生の教室の生徒になる。次に先生の興味のある話を聞く、こうやって相手と打ち解け、そしてようやく聖書の言葉を話すことが出来るのだった。
つまり、一方的に初めからキリストの福音を話しても、受け入れてもらえにくいというのである。
水が無いのなら井戸を掘ることや、他国のことばを覚えること、相手と親しい関係になること、外国人が地元の人と、こころが解け合うには、並大抵のことではないことが分かった。
改めて、そうと分かると私たちの身近にいて下さる宣教師の大変さ、使命に体を張る素晴らしさに尊敬がさらに増した。
生まれ故郷の親戚や友人から離れ、言葉も生活習慣も気候も違う外国に出向く思いを抱かせる神様の愛や召しはすごいと思う。
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