許せない人・嫌いな人との接し方


あなたは嫌いな人許せない人がいますか?

誰もいないのなら幸せなことです。

テレビを見てあのタレントは嫌いと言うくらいなら、かわいいものです。
大嫌いな人がいて、その人が毎日会う人であったら、お気の毒と言うしかないでしょう。

その相手を意識しなくてもいいのに、むしろ常に意識しまうようになれば、相当に重症です。
たとえ相手に悪意が無くても、不思議と相手にこちらの思いが通じてしまい、
相手もこちらが嫌いになるようです。
そうなると相手との関係はますます悪化していきます。

きっかけは何だったにせよ、「相手が悪くて私は少しも悪くない。」と思うのが、許せないと
いう思いの根本にあるのでしょう。
確かにそのとおり、誰が見ても相手が悪いのかもしれません。

しかしいつまでもそう思っていると胃が痛くなったり、常にいらいらしたり、不満が溢れ
ストレスはたまる一方で、自分が悲しくなったり、仕事に学校に行くのが嫌になったり、
なぜあの人と出会ったのだろうと不幸せな気持ちになります。

このように嫌い・許せないという思いは、マイナスのエネルギーで健康によくありません。
しかも、かなりエネルギーがいるようです。

ここで、ある王様のたとえ話をします。

王様に一生払い続けても返し切れない借金を抱えた人がいました。仮にAさんとします。
期限が来たので王様はAさんに借金の返済を迫りました。
Aさんはとても返せなかったので、なんとか待ってもらうように必死で頼みました。
するとこの王様はかわいそうに思い、その借金を帳消しにしてくれたのです。
A人は、大喜びで帰っていったのは言うまでもありません。

ところがその帰りにAさんに何ヶ月間分の借金をしていたBさんを見つけ、
Bさんを脅して借金を無理やり取り立ててしまいました。
そのことを知った王様は、せっかく許してやった借金を取り消し、Aさんを一生牢に入れた。
という話しです。

王様とは神様のことです。Aさんとは私たちのことで、Bさんは許せない相手です。

神様は私たちを愛するが故、ご自分の独り子イエスを十字架にかけて身代わりとし、
私たちの一生かけても返しきれない借金、すなわち、すべてのを許してくださいました。
許されて罪を帳消しにされた、私たちは神様に許されたように、その人をも許すべきなのです。

聖書はこういっています。

「もし貴方が、自分に対して罪を犯した人を赦すなら、天の父も、あなた方を赦してくださいます。
しかし、あなた方が赦さないなら、天の父神様もあなた方を赦してくださいません。」マタイ6-14/15

ただ、私たちは努力をしてもなかなかその人を許せないものです。
しかし神様のことを思い神様に頼るなら、いつの間にか許せるようになります。
「人には出来ない、しかし神には出来るのです。」

つぎも聖書の言葉です。
「人のあら捜しはいけません。自分もそうされないためです。
なぜなら、貴方が接するのとおなじ態度で゜相手も接してくるからです。
自分の目に木材を入れたままで、どうして人の目にあるおがくずほどの小さなごみを
気にするのですか。
材木が目をふさいで、自分がよく見えないというのにどうして
「目にごみが入っているよ。取ってあげよう」などというのですか。」マタイ7-12

さらにこう書かれています。
「人からしてほしいと思うことを、その通り人にもしてあげなさい。」ヨハネ15-17

私たちが許せない人を許すとき、私たちも許されて、心に幸せな気持ちが溢れるようになります。