キリスト教のすすめ   (へぇそうだったのかキリスト教)

 はじめに


福沢諭吉の「学問のすすめ」で有名な、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉を、聞かれたことがあるかと思います。
元々これは、福沢諭吉がアメリカ合衆国の独立宣言を引用したものだそうですが、この意味は身分差別について、人はみな生まれながらにして平等ということを伝えています。

この「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。」という言葉は、「神様はすべての人を造られた。」ということが土台になっていると、理解できるのではないでしょうか。

神様が俺(私)を造った?
あなたにとって初耳でしょうか?

 あなたに無縁でないキリスト教


「キリスト教はアメリカの宗教で、俺は日本人だし、昔からお寺さんでお世話になっているので関係ない。」などと思っておられる方、結構おられるのではないでしょうか?

いいえ けっして無関係ではないのです。

アメリカ人であろうと、日本人であろうと、私たちは人間であり、「人間」として、神様に特別に造られたという事実があるからです。

私たちの父の父、そのまた父の父・・・と遡っていくと、アダムという一人の人物にたどり着きます。

人間は、初めから人間として造られたのであり、サルが進化したのではありません。(日本ではあまり知られていないことですが。)

ですから神様と人間との関係は、造り主と、造られた者という、切っても切れない深い関係なのです

(そして神様から、この世界に遣わされたひとり子がイエスです。)

この事実にあなたは「そんな、バカな。」 と思うかもしれません。

しかし、実に世界の人口の三分の一の人々が信じているキリスト教の「聖書」には、神様によって人が造られたと書いてあり、
クリスチャンはこの事実に「そんな、バカな」とは言わず、「そのとおりと信じます。」と答えます。

 キリスト教を信じると、ご利益は何かあるの?

この質問に答える前に、ご利益の定義を辞書で引いてみますと「ご利益とは神仏が人間に与えるお恵み、幸運。」という意味があります。

たとえば、どこそこの神社に行けば良縁に恵まれる、お賽銭をささげて願いをすれば、願いがかなう、難行・苦行をして徳を得る・・・など、

ご利益は、まず初めに人が神に対してアクションを起こして、その結果、幸せになると信じることではないかと思います。

キリスト教は少し言葉と意味合いが違います。

キリスト教では「ご利益」と言わず「恵み」と言います。
これは私たちが何かをしたからというのではなく、神からの一方的な愛のプレゼントを言います

「神様が私にとって一番大切な方です。」と信じ、受け入れ、生活するなら、私にとっての必要なものはすべて備えられるという恵みがあるのです。

ただ、あなたの願っていることが、そのとおりになる場合もあれば、違う方向に行くこともあります。
時には一見、幸福な方向へ導かれるとは思えず、かえって辛い方向へ行くように思われるかもしれません。

しかし、たとえそのようになったとしても心配はいりません。

神様はあなたを目の中に入れても痛くないほどに愛しておられ、あなたに必要な道筋を備えておられるのです。
あとで振り返ると「これでよかった。」と思えるほどに、あなたにとって一番ふさわしい方向へと導かれていきます。

また、人間の誰もが抱える「」についても解決してくださいます。

では、そのような「恵み」をいただくためには、どうすればいいのでしょうか?

それは、神様を信頼して信じることが大切です。

信じるものは救われる」という言葉があるとおり、ただ信じるだけでいいのです。

では、何を信じるのでしょうか。

聖書には、イエス・キリストが天からこの世に来られた理由を

神は実にその一人をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が誰も滅びることなく、永遠の命を持つためです。」と言っています。

このことを信じ、受け入れるところから始まります。

初めてこの言葉を聞くと、少し分かりにくいかも知れないので、もう少し噛み砕いて解説しましょう。


「神とは」         地球を造り、人を造られた唯一の存在です。

「ひとり子とは」     イエス・キリストのことです。

「お与えになるとは」  神様がイエスを神の子として私たちを罪から救うために遣わされたということです。

「世を愛された」     無実の神の子イエスを十字架に架けて、私たちの罪の身代わりに死なれるというほどに愛されたということです。
               (そればかりでなく三日目に復活された。)

「御子を信じるもの」  その事実を信じる人。すなわち クリスチャンのことです。

「滅びることなく」    

滅びるとは原語では失われると同じ意味で、本来いるべきところにいない状態のことです。つまり、迷い出た者が本来の場所に戻る、失われた者が見つかることです。また、神様のいない世界(すなわち地獄)に行ってしまわないようになることです。

「永遠の命を持つ」  

というのは、死なない体になるというのではありません。
すこし難しい説明になると思いますが、元々は神様よりアダムに「いのちの息(霊)を吹き込まれたことにより、人は生きたものとなった」と聖書に書いてありますが、アダムが神様の命令に逆らって生きることを選んだとき、親密だった神様との関係が断絶し、霊が死んでいる状態になってしまいました。
 
その子孫である私たちは、誰もがその性質を受け継いでいるので霊が死んだ状態にあるのです。
しかし神様を信じることで、死んでいた霊が新しく生まれ変わり、断絶していた神様との関係が親密なものとなり、神様とともに生きる喜びの人生に変えられていきます。
また、肉体が死んだ後でも永遠の命の国「天国」へ行けるようになる、という恵みが与えられています

 キリスト教に少しでも興味や(もう少し知りたい)心が惹かれたのなら

もし神様のことや、イエス・キリストに少しでも心が惹かれるのなら、また、もう少し詳しく知りたいと思われたら、一度教会を訪れてみましょう
そしてよかったら、続けて教会に通ってみましょう。

人によって様々ですが、直ぐに神様のことが心に入ってくる場合もありますが、一回や二回教会に行っただけでは、そこで話される意味がよく分からないこともよくあります。

どんな事でも理解するのに時間がかかる様に、神様の事が分かるまでにはある程度の月日を要するものです。

そうして教会に通ううちに、少しずつ知性と心で理解してゆく過程を通ります。

信じるか信じないかは自由です。
教会では決して信じることを強制しません
あなたの自由意志が尊重されます。

本当の愛を知りたいと思われる方、人が生きる本来の目的を知りたい方、心の抱えきれない重荷がある方

また、少しでもキリストに興味を持たれた方、あなたも一度教会をたずねてみませんか?

あなたを歓迎いたします

ホーム