すぐにわかる「イエス・キリストの生涯」

プロローグ 

西暦元年(推定)の頃のイスラエル

当時、イスラエル国(ユダヤ)はローマ帝国の属国となっており、ローマ帝国から派遣された総督、イスラエルのヘロデ王(領主)、宗教的指導者たちとによって支配されていました。
ユダヤ人たちは、古くからの宗教的しきたりに従って生活し、またローマの圧制に苦しみ、ローマ帝国からの独立解放を望んでいました。


第一章 イエスの誕生〜30歳

イエスの誕生に先駆けて、天使ガブリエルが処女マリアに現れて、マリヤが聖霊によってイエスを身ごもり、そしてイエスが誕生することを予告します。

数ヶ月のち、ローマ皇帝の命令で住民登録令が発せられ、ユダヤの人々はそれぞれが自分の生まれ故郷に帰らなければなりませんでした。

マリアは、あと少しでイエスが産まれる体を抱えながら、結婚したばかりの夫ヨセフと、故郷ベツレヘムへ旅立ちますが、やっとのことで到着したベツレヘムには宿がなく、家畜小屋でイエスは誕生することになりました。

このとき、近くにいた羊飼いたちは、天使のお告げにより、救い主イエスの誕生の知らせを聞き、イエスを礼拝しに行きました。
これが世界で初めてのクリスマスです。

その約2年後(推定)大きな星に導かれて、東方の*3人の博士たちが黄金などの貢物を持ってイエスを訪問しました。

東方の3人の博士たちから「ユダヤの王がベツレヘムで誕生した」と聞いたヘロデ王は、自分の地位を守るため、ベツレヘムの2歳以下の男の子をすべて殺させましたが、ヨセフ家族は、天使のお告げにより、一足早くエジプトへの脱出することができました。

そして、しばらくの間エジプトにとどまっていましたが、イエスの命を狙うヘロデ王の死を知って、故郷のナザレへ帰ることになりました。

それからのイエスの軌跡については、12才の時、両親へ連れられてエルサレムの神殿へ行き、学者たちと問答したことだけ聖書に書かれています。

*正確な人数は書いてない


  第2章 イエスの宣教〜十字架までの3年半

イエスは、およそ30歳になったころ、バプテスマのヨハネから洗礼(水に全身を浸す儀式)を受けられました。
そのあと荒野で40日の断食をし、悪魔から3つの誘惑を受けましたが、イエスはそれを聖書の言葉によって退け、誘惑に打ち勝ちました。

そしてイエスは宣教を開始しました。
漁師たちをはじめ、さまざまなユダヤ人をご自分の弟子とされ、その中から使徒とよばれる12人を特別に選び、いつも自分のそばに置いて教えました。

イエスの初めての奇跡は、招待された結婚式で、母から「ぶどう酒が足りなくなった。」と聞き、水をぶどう酒に変えたことでした。

それからイエスは、悪霊につかれた人から悪霊を追い出し、病気を癒し、立ち上がれなかった人を立たせ、目の見えない人を見えるようにし、信仰の大切さを教え、隣人への愛や、許し、天国への道、人の幸せ などを、たとえ話を用いて教えました。

また、イエスは湖の嵐を鎮めたり、水の上を歩いたり、わずかな二匹の魚と5個のパンによって5000人に食事を配るなどの奇跡を行い、人々を愛し、哀れみ、ご自分が神様から遣わされた者であることを人々に示しました。

一方、ユダヤの宗教的指導者との対立がありました。

イスラエルには遥か昔に神様から与えられたモーセによる「律法」という法律(宗教的しきたり)がありましたが、時が経つにつれ、人間的な解釈が付け加えられたりするうちに、本来の律法の意味が薄まったり間違えて理解されるようになっていました。

イエスはそれの間違いを真っ向から正したので、面白くないのは、ユダヤの宗教的指導者でした。

特に安息日と言われる日(週に一日完全に仕事を休む日)に、イエスが人の病気を癒したことを取り上げ、「仕事をした」と抗議しました。

イエスの行う様々な奇跡により、人々の心がイエスに向く中、指導者の立場が危うくなったことや、「イエスが自分は神様の子だ」という、宗教指導者にとっては神様を冒涜する言葉に、イエスは死に値すると決め付けました。

また、宗教指導者はユダヤの人々がイエスを革命の王に担ぎ上げて、ローマに対抗し戦い、その結果イスラエル国内が混乱するのではないかと恐れひそかにイエスの命を狙うようになりました。

その頃、イエスと親しくしていたラザロという男が死にますが、その四日後にイエスの奇跡によって死からよみがえります。

第3章 十字架の道〜昇天

しばらくして、イエスはロバに乗って首都エルサレム入場され、人々は喜んで迎えました。

イエスこそ王であり、神様の子だと信じた人や、彼こそイスラエルをローマ帝国から解放する王・救世主であり、今こそ現れたのだと思った人や、ラザロを死から蘇生させた奇跡を見たり聞いたりして、イエスをひと目見てみたいと思った人もそこにいました。

エルサレムでイエスのしたことは神殿で商売人を追い出すことでした。
商売人たちが、神聖な場所である神殿を儲けの対象として利用していたからです。
このことも宗教的指導者の反感を買ったのは間違いないことでしょう。

その数日後のことです。イエスは翌日自分が十字架にかかり殺されることを知って、弟子たちとともに最後の夕食(最後の晩餐)をします。

そこで、弟子たちに遺言ともいえる最後のメッセージをし、自分が十字架で苦しみに会うこと、その三日目によみがえることを予告し、また弟子たちにお互いに愛し、仕えあうことを教えます。
この時のイエスは、逮捕や十字架から逃れられようと思えば、それもできたのですが、あえてされませんでした。

やがて食事が終わり、いつものようにオリーブ山に祈りに行きますが、弟子の一人ユダの裏切りにより、イエスの居場所が知られ、オリーブ山で逮捕されます。

まずイエスが引き立てられたのは、大祭司宅での取調べでした。

そこでイエスを殺すべきだと決まりますが、ローマの属国であるユダヤ人には、人を裁いて有罪とし処刑する権利はありませんでした。
そこでローマの総督ピラトに裁判してもらうために、彼の元へ行き、訴えます。

しかし、総督ピラトは「イエスに罪は認められない。」と宣言します。
それでも、宗教指導者たちは人々を先導し、死刑を要求するように仕向け、ついにピラトは彼らの脅しや暴動を恐れて、イエスの十字架刑を許可してしまいます。

そして、「がいこつ」と呼ばれるゴルゴダの地で、イエスは十字架に架けられます。そんな状況のただ中で、自分を十字架にかけた人たちを許すように祈り、最後の死に至るまで罪を犯されず、息を引き取られます。
イエスは、およそ3年半宣教を終えて十字架での死を迎えました。
 (このわずか3年半の公生涯で、歴史にこれほど大きな影響を与えた方は他にはおられません。)

イエスが死なれた3日目の朝に、イエスは死からよみがえられます。大きな石で封印されていた墓は開かれており、もはやそこに遺体はありませんでした。
これはイエスが神様から遣わされた者だという決定的な証拠となりました。


そして、はじめにマリヤに復活した姿を現され、弟子たちの前に現れます。

復活されて後、40日にわたって何度も弟子たちに現れ、弟子たちの見ている目の前で天に上られました。

エピローグ

罪のないイエスは、指導者たちの嫉みなどによって殺されることになりましたが、同時にイエスの死には、もっと深い意味があるのです。
それは、人類のはじめの人アダムとエバが神にそむいて罪を犯して以来、誰もがの性質を持ち、神様から断絶状態にありましたが、イエスがわたしたちの罪の身代わりとなって、十字架で死なれたことで、神様は私たちと和解されました。
イエスは、死の力に打ち勝って三日目によみがえられたことで、私たちに復活の新しい命が与えられることを示されました。

わたしたちは神とともに生きることができます。日々やすらぎ(平安)の生活を過ごし、天国への切符を手に入れることができるのです。
イエスは言われます「わたしが道であり、真理あり、いのちなのです」と・・・

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