キリスト教は縁もゆかりもないのか?

皆さんもご存知の通り京都は長い歴史のある町ですね
先日、仕事で会社の方と京都にある二条城の横を通ったときのことです。
私が「この二条城で江戸時代の末期に、徳川幕府が天皇に政治を
お返しする、大政奉還が行われたんですよね」と言ったことろ

その方は「昔どこでどんなことがあったとか、どこで戦いがあったとか、誰が城を建てたとか、よく言うけれど
僕は、そのことが今の自分の生活には何の関係もないと思ってしまう」と言われました。
歴史にあまり興味がない人はそう思うのだと、私はその答えがかえって新鮮に感じられました。

歴史に詳しい人がいうには、徳川幕府が江戸時代末期に大政奉還をする判断をしたことで、
明治という新しい時代にすばやくかじを取ることができたのだといいます。

私も、さまざまな歴史が動いた延長上に、現在の生活があるので、
歴史が今の自分の生活にかかわりがないとは思えないのです。
あなたはどう思われますか?
話が変わりますが、私たちとイエスキリストとは何かかかわりがあるのでしょうか

キリスト教があるのは知っているけれど、2000年前に外国にいた宗教家イエスと自分とは何のかかわりも
ないと思っておられる方が、ほとんどではないでしょうか

日本ではクリスマスや結婚式に少しだけキリスト教の行事にかかわるだけの関係でしょうか

実のところ神様の子と言われるイエスキリストは私たち一人ひとりと大きなかかわりがあるのです
そのかかわりを2つ紹介しましょう
かかわりの一つ目は江戸時代よりはるかはるか昔にさかのぼります
世界が神様により創造されたとき、神様はアダムを造られました。
アダムは世界で一番初めに作られた人間です
つまり神様が私たちを造った。私たちは神様に造られたというかかわりがあるのです。

しかし、アダムが神様の命令に逆らうという、罪を犯してしまったため、
その子孫である私たちはアダムの罪の性質を
生まれながらに引き継いでおり、その結果同じように神に逆らう人生を歩み、
この世を去った後には、神様のいない滅びの世界に行く定めになってしまいました。

罪って何?神様に逆らうって何のこと?と思った方もおられるかもしれませんね
しかし殺人や詐欺など警察に捕まるようなことだけが、罪ではなく、
心で思っている悪い思い、うそや、ねたみ、憎み、盗み、高慢
そして、神様の願いや思いを知らず、そこから離れていること自体が罪なのです。
聖書によると、その罪は善行や修行や悟りなどでは、清算出来ない、つまり、なかったことにはできないのです。

2つ目のかかわりは
そんな私たち一人ひとりを罪から救い出すために神様のひとり子イエスキリストが生まれ
私たちの罪の身代わりとなって十字架で死に、三日目に復活されたことです。
あなたの知らないところで、歴史が大きく動いたのです。
それ以来、この世界に生まれた人はどの時代、どこの国、誰であっても、あなたも私も
イエスを信じるなら、罪を赦され、罪のない者とされ、
いずれ行くはずだった滅びの世界ではなく、永遠の天国へいく道が開かれたのです。
そして、この世にあっては、罪の世界から救い出され、神様の統治があなたにおよび、
神様の恵みといつくしみのなかで生きることができるのです。
神様とあなたとのかかわりはあなたの命に関わることなのです。
聖書に
神は実にその一人子をお与えになったほどに世を愛された。それはみ子を信じるものが
1人として滅びることなく永遠の命を持つためである。とあります。

この歴史の延長線上に私たちは生きています。
神様は私たちを愛して罪から救われて欲しいと願っておられます。この事実をもっと知るために
あなたも教会へ訪れてみませんか