進化論に物申す


ダーウィンによると人間は猿から進化して出来たそうです。
それは人間様に失礼です。人間の尊厳が傷つきます。
確かに、猿に似た顔つきの人はいるけど、うぅーんそれも失礼っ

猿が人間への進化の過程なら進化の途中にある猿、たとえば言葉をしゃべる猿が
いてもおかしくないと思いませんか。
(まさに映画「猿の惑星」になりかねませんね)
また、羽の生えかけた人間とか、
想像しただけで気持ち悪い代物ですね。
人は人として、猿は猿として初めから、造られたと考えるほうが自然です。

思うに「進化論」は神様が人間や世界を造ったことを否定したい人がつじつまを合わせる
ために考えた一つの「論」と思うのです。

ご存知ですか
なんと「進化論」を発表したダーウィンでさえ、晩年の時に自分の論を否定しています。

ダーウィンが死の床についていた時、知り合いの婦人が彼を訪ねてきました。
彼は聖書を手にして横になっていました。
婦人は、ダーウィンが熱心に聖書を読んでいるのを見て驚きました。
ダーウィンは、自分がかって無神論者であったことを告白し、「進化論」についてこう言いました。

「あれは、若い者が考えるような未熟な論理ですよ」

彼は婦人に聖書の教えと、イエスの救いについて教えてくれるように頼みました。
そして彼は死を目前に、長い間否定し続けてきた聖書を読み、そして受け入れたのです。

その聖書は次のように教えています。

聖書の初めの章 創世記には、「初めに神が天と地を創造した。」と書かれています。
そして、「種類にしたがって野の獣を、種類にしたがって家畜を、種類にしたがって
地のすべてのはうものを造られた。」・・・・最後に「土地のちりで人を形造り、
その鼻に いのちの息 を吹き込まれた。そこで人は生きるものとなった。」
神様はすべて良いものの揃った条件の上に人間を造ったと書いてあります。

日本では残念ながら「進化論」しか教えてくれません。
だから、「創造論」を話すと、「何んだ、それは」になるのでしょう。
しかしアメリカなどの教育現場では、「進化論」と同時に「創造論」をも教えているそうです。

人は神によって創造されたと信じるか、あるいは猿から進化したと信じるか、
それは各人の自由ですが、私たちが目的を持って神様に造られたのか、
それとも偶然に出来たのか、どちらを信じるかによって、
私たちの生き方が異なってくるのは明らかです。

クリスチャンは、一人一人が神様によって造られたと信じています。

聖書に「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、
したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」
{ヘブル11の3}と書いてあるとおりです。