家は日常生活を過ごすのに無くてはならない大切なもので、
高価なものであることは誰もが思っています。
またその家が、地震や台風などに耐えうる丈夫なものであってほしいと願っています。
ここで人の人生を「家を建てる行程」に例えてみましょう。
家とは、私たち一人一人のことです。
土地の上に土台を作り、その上に家を作っていくわけです。
そして、家を守るために家の周囲に囲いを築きます。
他人より、より大きい社会的地位の囲い、より良い財産の囲いを望み
他の人から、「あそこの家は、立派で堅固でうらやましい」といわれたいと思います。
また、自分でも「私の家は堅固だから神など必要ない」といいます。
そういう人は自分の力を土台としている人です。
そのためには寝る間も惜しんで、夜遅くまで努力するかもしれません。
しかし、ある日その人が大きな病気になったり、財産が破産したりすると、
いままで頼りにしていた、自分の力が頼れなくなり、途方に暮れるようになります。
そうなると中には、生きている意味が分からないと自殺する人もいるのです。
たとえ大きな病気や破産するようなことが無いにしても、年をとるとともに
自分の力が衰えてくるでしょうし、社会的地位の囲いや財産の囲いも、いつの間にか、
失われてしまいます。
では、自分の力(土台)が、頼りにならないと知ったならば、どうすればいいのでしょうか。
それは、私たちを造られ、私たちを愛するがゆえに、私たちの罪のために十字架にかかって死なれ、
そして三日後に復活された、神様の御子イエスキリストに頼るなら大丈夫です。
聖書を通して、イエスの愛という土台の上に自分の家を建ててみてください。
そうすればイエスは私たちを最善の方向へ導き、神様自身が責任を持って私たちの家を建て
あげてくださいます。
さらにイエスはご自分の瞳のようにあなたを守ってくださいます。
聖書には次のように書かれています。
「私の言葉を聞いてそれを行うものはみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることが
できます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。
岩の上に建てられていたからです。」
「家はそれぞれ、だれかが建てるのですが、すべてのものを造られた方は、神です。」
「主が家を建てるのでなければ、建てるものの働きはむなしい。主が町を守るので無ければ
守るものの見張りはむなしい。」