イエスキリストの十字架のわけ

エピソード1


これは紀元33年に起こり、今も語り告げられる真実の話です。

金曜日の午前9時頃のことです。
打つ度に体の肉をもえぐるといわれるローマ式の鞭で何度も打たれた彼は、
既に取り返しのつかないほどの深い傷を体中に負って血だらけでした。

「どくろ」と呼ばれる地で、ローマ兵は彼を十字架の上に乗せた後、荒削りの木に両手を押し付け、手のひらに一本ずつ太い釘を打ち付けました。ハンマーが振り下ろされるたびに血が飛び散りました。
また足にも太い釘を打ち付けられました。頭には「いばらの冠」を押し付けられ額からも血が滴りました。
全身に燃えるような激痛が走りつづけた事でしょう。

 その地方の総督ピラトが言ったように彼には罪は見つかりませんでしたが、
 宗教学者などのユダヤ人達の脅しに負けたピラトは、ついには十字架の刑を言い渡しました。

釘を打ち終わった、十字架はやがて高くがかげられました。
そして、ローマの兵士や彼をののしる人達の前に見せ物となられました。
彼の周りは敵だらけでした。彼の味方は自分も捕まることを恐れ、ほとんどが逃げ去っていました。

 ユダヤ人達は彼が「神を冒涜した」と怒り狂い、彼の行った驚くべき愛や赦し、癒しの奇蹟を無視しました。

十字架上で手で体を支える形になったので、体を少しでも上に上げないと肺を取り巻く胸郭が圧迫されて呼吸が出来ません。
彼が力を振り絞って、体を上げようとすると、釘の刺さった手のひらと足の傷が開き血があふれ出します。
力尽きて、体を下げると呼吸が苦しくなり・・・こんな事を何度も何度も繰り返すのです。

 彼はこの日十字架で苦しみを受ける事をあらかじめ知っていましたから、この苦しみを逃れようと思えばいく  らでも出来ましたが、彼はしませんでした。
 それは彼が自分を捨てて、私たち全人類の罪の身代わりとなって罰を受けるためでした。

そんな状態の中で彼の発した言葉はどんなものだったのでしょうか
「父よかれらをお許しください。彼らは何をしているのか分からないのです。」
 彼は自分を十字架に付け、つばをかけあざけった敵をも赦しました。

また、この世界の全ての醜く汚い「罪」が、「どくろ」といわれる地にいる彼の全身に降りかかってきました。
この「罪」は彼が今まで一度も犯したことが無く、もっとも彼の嫌うものでした。。
十字架の上で彼はまさに「罪人」となったのです。
この時の彼の思いを私は図り知る事が出来ません

 彼は自分の弟子だけでなく愛し信頼する天の父にも見捨てられました。
 彼の天の父はこの事を冷静に眺めていたのでしょうか。
 我が子をこの十字架から助けようと思えばいつでもできた事でしょう。
 しかしあえて、天の父はそれを忍びました。それは私たちを愛しているからに他なりません。

天の父に見捨てられた事を悟った彼は、「我が神、我が神どうして私をお見捨てになったのですか」
と叫びました。かっては「父」と呼んでいましたが、もはや「父」とは呼べませんでした。


こうして彼は六時間の間苦しみぬいて「完了した」と叫び息を引き取られました。
これは私たちの救いへの道・天国への道が出来上がったという事なのです。

最後に彼の死を確かめようとローマ兵がわき腹を槍でさした時、そこから血と水が分かれて出てきました。
心臓が張り裂けた証だったそうです。
この十字架刑の一部始終を見届けたローマ兵は「この方は誠に神の子であった」と言いました。


「神は実にその一人子をお与えになったほどにこの世を愛された。それは御子を信じるものが誰一人滅びることのないためです。」

人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」

聖書より