「愛されたい」という思い




もし、「おはよう」と挨拶をしたのに、相手から返事が返ってこないと不愉快な気分になりますね。
相手がたまたま、その人に気がつかなかったとしてもです。

 人は自分の存在を無視されると笑顔が消えます。

もし、自分の親に「あなたは○○さんに比べていつも出来が悪いね」と言われたら
悲しくなりますね。

 人は他の人と比較されたら笑顔が消えます。

人は誰でも、いつでもどこででも「愛されたい」と思うものなのです。

学校の子供達がいじめで自殺するニュースをよく聞きます。
「私なんか誰からも愛されていない。むしろいないほうがいいのだ」と思うそうです。

人は、誰にも愛されていないと感じると、自殺するほど辛くなり、
生きていけなくなるのです。

人は生まれたらまず、その両親に愛されます。

我が子の愛らしさは、自分の命を引き換えにしてもいいもののはずです。
しかし、親から愛されなかったり、虐待を受けるニュースを聞きます。

また、信じて愛し結婚したその夫からも裏切られたり虐待を受ける事があります。

このように人の愛は不完全なのです。

では、誰が本当に私を愛してくれるのでしょうか

それは神様です。

神様が私達一人一人を創ったので、私達を愛してくださっているのです。

たとえば工場で作るコーヒーカップは皆同じもので、それぞれが少しの違いもありません
しかし陶器師が作るコーヒーカップは似ているようでも少しずつ違います。
同じ物はひとつとしてありません。

神様も人を、一人ひとり違うように作られました。

神様が一人一人を愛して造られたからこそ、人を違う顔、違う性格、違う能力
を持つものとして造られたのかもしれません。

私達の心が一番安心する状態は「神様が私を愛してくださっている」と分かる時です。


教会は神様の愛を知り、神様の愛を受け、そこに集められた人々、お互いを愛し合う集まりです。

あなたも一度教会を訪れて見ませんか。


「わたしの目にはあなたは高価で尊い、私はあなたを愛している。」聖書