幸せな人になりたい   (むなしさの訳)



ひとは誰でも幸せになりたいものです。

それは日本人、フィンランド人等の国籍を問わず、また子供も、大人も年齢を問いません。
テレビのコマーシャルでは、「この商品を買ってくれたら、あなたは幸せになるよ」という
ものが、止まることなく流れています。

例えば新しい車を買えば、しばらくの間は心に満足を得て、幸せな気分になるかもしれません。
しかし、そのうちその幸せな気分も慣れてしまいます。
あなたにどんなに良いものが揃っていても、「何かがかけている」という気持ちになり、
「むなしさ」が襲ってくる事がありませんか?

人は心のむなしさを物あるいは自分の努力で満たそうと考えますが、
それが手に入ってもなぜかむなしさが襲ってくるのです。

なぜでしょうか?

もともと人は神と共に生きるように創られたのです。
神と共に生きる事が人にとっての一番の幸せだったのです。

はじめに神様に創られた人間アダムとエバが、神様に背いて、罪を犯してしまって以来、
神様と共にいることができなくなってしまてました。
それ以来、私達に神様と共にいないという「むなしさ」が襲ってきているのです。
だから、神様と共に生き、歩むならたとえ何も無くても幸せになれるのです。

神と共に生きると言うのは、私達の罪のため、この世界に来られ、
十字架にかかって死なれたキリストイエスを信じて祈り、聖書を頼りに
生きる事です。

聖書に「心の貧しい人は幸いです」という言葉があります。
心にキリスト・イエスを求めるものは本当に幸いになるということなのです。