運命について考える     

貴方は次ぎの内どちらの考えですか?

A これも運命だ、仕方が無い B 運命は自分の力で切り開く

では、この答えについて、順を追って考えて見ましょう。

なんでこんな家庭に生まれたのか、もっと裕福な家庭に生まれたなら、こんなに苦労しなくても
・・・と愚痴をこぼすあなたへ。生まれる時に自分の両親を選べませんね。
また、男に生まれた、女に生まれたことに対して不平を言ってもどうしょうもありません。
これも運命としか考えられませんね。

私たちは偶然に、今の時代の日本に、今の親の子供として生まれ、今があるのでしょうか?

聖書には「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、
それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。
」使徒17-26 とあります。

つまり、初めの人アダムから今日に至るまで、一人一人が生まれる時代と国家、住んでいるところ
また両親まであらかじめ定められていたとあり、偶然に生まれたのではなく神様の計画によって
私たちが生まれたと教えています。驚くべき事ですね。

では、その計画によって初めから、すでに運命が決まっているとするならば、これから起こる
さまざまな事も、私たちに選択の余地が無く、どうあがいても仕方が無いと言うことでしょうか?

決してそうではありません。
神は人を愛する対象として造られたので、製造した者のプログラムに沿ってしか動かない
ロボットのようには造られなかったのです。
私たちは、自由意志があり、自分の進む方向を自分で選ぶ権利を与えてくださいました。

当然ながら私たちは誰でも、自分が幸せになる方向を選択したいものです。

しかし、私たちが生活をして行く中で、幸せな方に進みたいという思いに反して、
私たちに選択の余地も無く、どうしょうもないと思える、辛い問題の壁に、
しばしばぶち当たることがあります。
たとえばそれは病気や、経済的困難や事故、怪我、人間関係などさまざまです。
すべてが現実にさし迫る問題です。

その時、人は自分の運命は自分で切り抜いてみせると、あらゆる努力はするはずです。
しかし、その問題に対して自分の出来る力を使い果たし、解決を見ないときは、
これも運命と諦めるしかないのでしょうか?

初めの問いに戻りましょう。

「貴方は次ぎの内どちらの考えですか?Aこれも運命だ、仕方が無いB運命は自分の力で切り開く」

ここにAでもBでもない新しい答えがあります。

聖書にこのような言葉があります。
あなた方が私の名(イエス)によって求めることは何でも、それをしましょう」ヨハネ14-13

神様に祈り、貴方の問題を打ち明け、信頼し、結果が良い方向へ向かうと信じることにより
新しいことが起こってくるでしょう。
今の辛い状況が良い方向へ変わってきて、諦めが希望に変わるようになります。

神様は、あらかじめ設定された私たちの環境に従って、一人一人を一番いい方向へ
誘導しようと考えておられます。
神様の示す方向に進むのか、自分の力だけ頼り進むのかを最終的に選ぶのは私たち自身です。

私たちが進むべき方向の道しるべとして聖書を与えられました。
聖書には神様がいかに私たちを愛しておられるかが書かれています。
神様は私たちを愛しておられるので、一番いい方向へ進んでほしいと願っておられるのです。

私たちが自分の力だけで生きる時、いつかは力尽きる時が来ます。
もし、貴方が問題に対し、自分の出来ることをやり尽くして、
「これも運命だ、仕方が無い」と思って諦めておられるのなら
聖書を読み、また教会を訪ねてみてくださる事をお勧めします。

そして神様の喜ばれる方向に一歩一歩進んでいく時に、その先には神様から来る素晴らしい
祝福を準備して下さっています。