もし、あなたが、いつも心に深く孤独を感じておられるなら、その原因は他の人や自分の置かれている環境にあるのでなく、あなた自身に原因があるのかもしれません。
例えば、次のように常に思っているとしたなら、ご自分に原因がある可能性は大きいです。
何をしても自分の思い通りにならないと、思っていませんか?
まわりの人が自分に合わせてくれないと、イライラしていませんか?
なぜ私だけが、こんな思いをしなくてはならないかと、落胆していませんか?
自分以外はバカばかりだと思っていませんか?
時々、イライラを発散して、まわりの人に心配されていませんか?
まわりの人に与えることをせず、与えてもらうことばかりを願っていませんか?
このように「自分が中心で、物事が回っていてほしい」と、自己中心を強く押し通そうとすると、
まわりの人はあなたから離れていきます。
そしてあなた自身も、ますます、まわりの人に関心がなくなります。
あなたはこのままで良いのでしょうか?
決して良いとは言えませんね。
では、どうしたらこの孤独から脱出できるのでしょうか?
人の正しい生き方を示した本である聖書には「自分を愛すると同じように隣人を愛しなさい」とかかれています。
あなたが孤独から脱出したいのなら、自分を愛するのと同じように、自分の隣人を愛することが必要です。
「自分の隣人」とは、隣の家に住んでいる人のことではなく、家族、友人、職場の同僚など、あなたが日頃接しているすべての人のことで、
それはあなたの好き嫌い、また年齢や性別を問いません。
また「愛する」とは、その隣人に対し、心を広くして、受け入れ、赦し、親切にして、善意を持ち、やさしくおとなしい心となり、自分を制することです。
ある人は、もしかすると、今の自分自身が嫌で仕方がないと思っておられるかもしれません。
自分自身が嫌なのに、人のことまで愛せるわけがないと。
たしかに私達自身はそのように人を愛することは難しいです。
しかし神様は愛することがお出来になります。
そして私達が神様を受け入れるなら、神様が助けてくださるので、人を愛していくことが出来るようになります。
神様はあなたを愛して、最高の作品として作られました。
そして、愛するがゆえに、私たちの身代わりに十字架で死んでくださいました。
まずその愛を知り、自分が愛されていること、赦されていることを知るなら、
神様の助けによって、隣人を愛することができるようになり、知らず知らずのうちに必ず孤独から解放されていくのです。
試しに自分がして欲しいと願うとおり、他の人にもそうしてごらんなさい。
きっと驚く結果があなたを待ち受けていることでしょう。
あなたが、ますます幸せになることを願いつつ・・・