鉛筆の価値、そして聖書から見る私たちの価値

鉛筆は一本およそ45円です。

パソコンはだいたい15万円で、買った人にとっては、それだけ払っても惜しいとは思わないほどの価値があると思い買います。

家は人生で最大の買い物で、価格もいろいろありますが、買った人にとってそれだけの価値があると思うから買うのです。

つまり、すべての価値は、支払われたお金(代価)によって決まります。


私たちの生活には確かに鉛筆も、パソコンも、家も必要です。

しかし私たちにとって、最も大切なものは、自分の命です。

もし命が失われたら、鉛筆もパソコンも家もすべての物が必要のないものになります。

では人の命は一体いくらの価値があるのでしょうか?

また人によって、金額が違うのでしょうか?

もしかしたら、地位の高い人が、若い人が、お金を稼いでいる人が、高価な価値のある人でしょうか?


世界のベストセラー聖書を見ると、神様の目から見たら、人は誰もが、とても高価で、とても大切なものと書かれています。

私たちの存在は、神様が私のため身代わりになって死んでも構わないと感じるほど、大切な存在なのです。

従来、私たちの本性は、自分さえよければ他はどうでもいいという価値観を持ち、他の人の価値を軽んじ、神様に背を向けて生きています。

表面はきれいでも醜いものがもろもろと潜んでいます。

そのような性質を「罪」と言います。


そんな私たちですが、神様は私たちがどれほど大切で愛しているか、価値があるかを身を持って示されました。

神様は自分のひとり子であるイエスを、私たちの「罪」の代価として支払われまた。

その代価とは、お金ではなく、代わりに死ぬということでした。

十字架刑で死ぬことで、私たちの「罪」を清算してくださったのです。

これがキリストの十字架の意味です。

人の身代わりに死ぬという以上のおおきな愛の表現はありません。

神様が示された私たちの価値は、これほど大きなものなのです。