あなたが自分に足りないと思うものは何ですか?   

お金でしょうか?
社会的な地位ですか?
名誉ですか?
自分を本当に分かってくれる仲間でしょうか?・・・


それとも今のままで十分、足りないものはないという方はおられるでしょうか?

誰もが、もっと良い暮らし、周りの人々にうらやましいなぁと思われたいのではないでしょうか?

たとえば私たちの心にコップがあると仮定します。

その心の中にあるコップにはある程度水があるようですが、何かいつも満たされず、満足しません。
それで足りないものを満たそうとします。

コップの中の足りないものが何かはっきり分からないので、自己実現、お金、名誉、地位、趣味で、自分で満たそうとします。
しかしいったんそれが満たされると今度は、コップが大きくなリます。
それは決して小さくなることはありません。


残るものは満たされない思いです。
こころは物や他人との優位などで満たされないのです。

しかも地位や名誉は今はあったとしても、やがてすたれます。

実は私たちに足りないものは愛と喜びと平安なのです。
愛というのは、神様の愛です。


イエスはこころの中の足りないものを満たしつづけるといわれました。


「この水を飲む者はだれでもまた渇く。

しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも決して渇かない。
わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」と。


私たちがイエスの十字架による救いを信じて受け入れていくなら、自分が用意した水ではなく、神様が用意された水で満たされていきます。

しかも、泉のように湧き出てくるので、足りなくなることはありません。溢れ続けます。
器が大きくても小さくても関係ありません。

神様に愛されている、受け入れられているという思いで、心の中がいっぱいに満たされるのです。
ふつふつを湧き上がる神の愛と喜びと平安で満たされてください。