私の存在

私たちの人生に変化はつきもので、入学・入社・転勤などの節目があり、いつまでも同じ状態は続きませんね。

さて、私たちの人生は、選択していくのもありますが、変化していくものもあり また初めからきまっているものもあります。

私たちが選択して行くものとは今日はなにをたべようかとか、どの服をきようかなど、日常のことからどこに就職しようかとか、どの人と結婚しようかなど、重大なものまであります。

いっぽう初めから決まっていることは、どの時代にどこの国でどの両親から生まれ、どのような素質を持って生まれてきたかなどです。

しかし、こんな国に、こんな両親から生まれていればとか、勉強もスポーツも万能だったらとか、いい会社に勤め、いい相手と結婚をし、子供を賢く育てて、ずっと健康でいたいとか、願ったこともありませんか

自分の願いや理想のために努力を重ねますが、限界もあります。

思うようにならない、こんなはずではないのに。。。そんなこともありますね。

僕が小学生の頃、校庭で縄跳びをしたことがありました。
一人でする縄跳びではなく、縄の端と端を二人が持ってグルグル回し、そこへ一人ずつタイミングを合わせて輪の中に飛び込んでいき、誰かが引っかかったら終わるという大縄跳びです。
ぼくはそのタイミングがつかめず、輪の中に飛び込もうとして、一歩進んでは戻り、進んでは戻りを繰り返し、やっと輪の中に入れても、足に縄を引っかけ、縄跳びを終わらせ、、、大抵それが僕の役でした。

スポーツがだめでも、勉強なら出来る人もいるのでしょうが、残念ながらぼくはそっち方面もそうでもなかったのです。
何でこんなふうに生まれたのだろうと、自信を失い、コンプレックスを持ったのは言うまでもありません。

なぜ人はこんなにちがうのでしょう。これは不公平なのでしょうか

聖書には、「私たちは神の作品であって良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」とあります。

聖書には、神様に造られたことを分かりやすく教えるため、私たちを器に例えています。
製品ではなく、陶器師が作る一つ一つの作品と言われています。
陶器師という作者の目的と愛情をもって作られたのが作品です。

「作品」は一見同じように見えても、ひとつひとつが違います。
人も同じように見えても、顔や性格が違うように同じ人は誰もいません。
神様がはじめから、このように私たちを違うものとして造られました。
その作品一つ一つが高価で尊いと言われます

ですから、もともと違うものとして、違う目的で愛情を持って造られていると知れば、
人との違いに落ち込んだり、また劣等感を抱くことなく、自分自身を認め、心穏やかに生きてゆけると思いませんか。

神様を信じる人は、神様が自分を大切な存在として愛情を注いで作られたことを知り、神様を愛する人々のためには、神様がすべてのことに関与してくださり、すべてを良かったと思える人生に導いて下さいます
きっと、あなただけにしかない良いところが見つかるのです。
是非あなたにも神様の愛情そして 生きる目的を知っていただきたいのです。
あなたもキリスト教会に訪れてみませんか