孤独感からの開放 大津キリスト福音教会

孤独感から解放されたいと思いませんか
私の目には、あなたは高価で尊い。私(神)はあなたを愛している。イザヤ43-4

 孤独は寂しがりやの孤独癖のある人や、失恋した人、事業に失敗した人だけではありません。
老人も若者も孤独さで悩んでいます。

今は高齢化社会です。一人住まいの老人が二百万人おられるそうです。さぞかし孤独なことでしょう
中年の方の心も社会における生存競争の中で、孤独だと思っておられる人がたくさんおられるそうです

中年や老人だけではありません。若い人も孤独に悩んでいます。人々の前では明るく、楽しそうに
振舞っているのですが自分独りになったとき、寂しさが込み上げてくるのです。

 ある学者は「孤独は山の中にいるときにあるのでなく、雑踏の中にある」といいました。
家には家族が、学校には級友がいる、職場には同僚がいる。外に出れば人々があふれ、嫌がおう
でも人と方をすり合わせて生活しています。それなのになぜ孤独なのでしょう。

 それは、愛の欠如に原因があるように思うのです。もし、愛される人がいたとしたら「自分はひとり
ぼっちだと嘆くことはありません。ところで、この広い世の中で親、兄弟、夫、妻を含めて、絶対的に
信頼できる人、自分のことを犠牲にしてまでも愛してくれる人、親身になって自分のことを考えて
くれる人はどれだけいるでしょうか?

 数年前まで、私の家内は病院で老人の看護の仕事をしていました。
そこで寝たきりの老人、痴呆症老人の方々は、家族の見舞いを心待ちにしているのですが、
一年に一度も来るか来ないかの人が大勢いるそうです。

病院から衣類の洗濯をするようにと呼び出されて仕方なく来て、衣類を汚そうに持って帰るそうです。
今、親の恩を忘れかけているのです。手塩にかけて育ててもらった親にさえ、邪魔者、厄介者にしているのです。

 現在、病院は姥捨て山のようです。人の愛はなんと醜いものでしょう。しかし神様は「永遠の愛を
もって貴方を愛している。それゆえ私は貴方に誠実を尽くし続けた。」
と語られました。
神様は貴方と私に「永遠の愛を持って愛する」と言っておられます。

永遠の愛とはいったい何でしょう。それは変わらない愛です。「万物流転」といいますが、すべてが
変わる世の中でもっとも変わりやすいのは人の愛ではないでしょうか。

「男心と秋の空」「女心と秋の空」といいます。相思相愛で結ばれた二人もいつしか「あばたもえくぼ」が
「えくぼもあばた」に変わるのです。
親子の愛も「かわいさあまって憎さ百倍」に、又どんな親しい関係も「金の切れ目が縁の切れ目」
となりかねません。

しかし神様の愛はいつまでも変わらずしかも無条件に私たちを愛してくださいます。
もし、神様の愛が条件つきの愛なら大変です。私たちは、いつ失敗し、挫折し、又誘惑に陥るか分かりません。
そんなときも神様の愛は変わらないのです。

孤独の第二の原因は私たちの存在が無視されることではないでしょうか
家族から、のけ者にされたり職場で尊敬されなかったり、社会から見捨てられたりするほど孤独な事は
ありません。

しかし、神様は貴方や私に「私の目には貴方は高価で尊い。私は貴方を愛している、
又、「貴方は私の宝である。」といっておられます。神様は私たち一人一人をかけがえのない人として
愛してくださいます。

 さて、孤独のもっとも大きな原因は、人の罪のゆえに、神様から離れて生きているところにあります。
ちょうど迷子が親のもとに帰るまで孤独であるように、人間が神さまのみもとに帰るまでは、孤独から解放
されません。

そのためイエスキリストは天の栄光を捨ててこの世に来られました。それは罪の為、神様から離れている人類
を神様のみもとに導くため、私たちの罪の身代わりとなつて十字架で死んでくださいました。
そればかりではなく、よみがえって今も生きておられるのです。そして、イエスを信じるものとともにいて下さいます。

イエスキリストは、「私は世の終わりまであなたかたと共にいます。」又「私は決してあなた方を見捨てない」と
言っておられます。
主イエスキリストを信じる人は神様の愛と全能の力によって守られます。ですから決して孤独ではありません。

牧師より