神を知ることを切に追い求めよ ホセア6章3
神様を知識だけでなく、神様の喜ばれること、悲しまれることを知って、神様の御心を行ないましょう
自分自身の行ないが正しいのかを、みことばの鏡で照らし合わせましょう
ヤコブ1-23~25
何を基準に他の人を見るかが大切です。
自分を基準で見るのなら、優越感や劣等感となり自分の悩みの元となる
神様の基準で他の人を見るなら・・
神様は、自分のひとり子イエスを十字架につけるほどその人を愛しておられる。
互いを自分よりも優れたものと思いましょう
神にあっての兄弟姉妹はお互いが神の哀れみによって救われたものなのです。
人生の中で大きな問題は人間関係である。・・・ 続きはクリックしてください
①砕かれたこころ
神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。 詩篇51-17
②感謝する事
すべての事について、感謝しなさい。これがキリストイエスにあって神があなた方に望んでおられることです。1テサロニケ5-18
③あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。ローマ6-13
私達は神様に対して、あれをしてほしい、これをしてほしいと「請求書」を出しやすいものですが、
なかなか「神様ありがとうございます」という感謝の「領収書」を出さないものですね。
なぜあまり感謝できないのでしょうか
それは、こうであって当たり前という思いが、あるからでしょう。
空気や水があるには当たり前。
子供は両親に色々してもらって当たり前。
周りの人や、友達に親切にしてもらっても当たり前。
食事が出来るのも、働く事が出来るのも、持ち物がある事も当たり前。
しかし聖書には「感謝をしない事は罪です」と書かれています。(Ⅱテモテ3の2)
事実、神様は、私達が生きるために必要な環境や、能力をあらかじめ備え、与えてくださっています。
働けるだけの健康が与えられていること、交通事故から守られていること、親がいること、家があること、・・・感謝しょうと思えばきりがないはずです。
そして何よりも、神様が御子を十字架につけるほど私達を愛してくださったことに感謝しましょう。
例え私達に逆風が吹いている時にも感謝が必要です。
どんな場合も神様は決して私に不利益な事はされないと信じましょう。
私達を神様の子供にふさわしくなるように訓練されている最中なのだと信じましょう。
きっと最後には、私達の益になるのです。
もっともっと全ての事に感謝しましょう。
あなたに困難が襲ってきた時、次ぎのように告白しましょう
①主が私の味方。私は恐れない。人は私に何ができよう。詩篇118-6
②私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう
③神は私達を選んで下さった。
④私達は罪に定められない。
⑤私達をキリストの愛から引き離す事が出来ない。
さまざまな困難や問題にあたった時、自分の力で何とかしようと思っていませんか?
そこに神様の働く余地がありますか?
私達は自分の弱さに失望するのではなく、むしろ神様の前に自分の強さを悩むべきなのです。
時々自分の力が神様の働きをさまたげる事になることがあるのです。
私達は自分の弱さを知り、神の力を求める必要があります。
モーセはエジプトの王子として育ちましたが、弱さを知るために荒野で四十年間訓練を受けました。
私達も自分の弱さを恥とせず、神様に信頼し、神様に素直に「はい」と言えるものになりたいものです。
恐れからの開放
ヨシュアがカナンの地に入るためには、既にそこに住んでいた人たちと戦い、領地を攻め取らなければなりませんでした。
その時のヨシュアがどれほどこの戦いを恐れたかは想像もつきません。
その時、神様がヨシュアに語ってくださった言葉が上記の御言葉です。
今日の私達も、色々な戦いに直面して、恐れがやってきます。
恐れには、「人の目が気になる」事や「自分が傷つくのが嫌だ」とか、ついには「自分が殺されるのではないか」等があります。
しかし、イエスキリストは私達の究極の恐れの「死」に打ち勝たれました。
「・・悪魔という、死の力を持つものを滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるため・・」ヘブル2-14~15
恐れは、私達のできる事をストップさせてしまいます。
ですから、いつも共におられ、全てのことに働いて、益にしてくださる神様により頼み、神様にあって強く、雄雄しくあろうではありませんか。