初めての教会訪問


( これは物語です。教会ってこんな感じなのかと知って頂くために書きました )




 琵琶湖が見下ろせる小高い丘を上がって、いつもの通勤の途中にその小さなキリスト教会がありました。
その教会は、クリスマス時期には少し飾りつけられていましたが、いつもはひっそりと建っているようでした。

 僕の家庭はおじいさんの時代から仏教なので、キリストには興味もなく、教会は日曜日だけ、なんかやっているなぁ
としか思っていなかったのです。
でも、仏教徒かと聞かれれば、そうであるような、無いような者でした。
そうそう、お彼岸の墓参りは必ず行くし、正月は神社に行くなぁ。
 
 ある日、僕の家のポストにその教会からのチラシが入っていました。それには「重荷を負って疲れている人は
私の所に来なさい」というタイトルと、何でも有名な宣教師が来るのでどなたでもお気軽に来てくださいと書いてあります。
もちろんその人など見たことも無いし、そもそも教会はキリスト教の信者しか来ないものだと思っていたのです。
僕も教会の中に入ってもいいんかなぁ?。


 でも「重荷を負って疲れている」というところが自分に当てはまるようでなんだか引っかかり、
少し興味が沸いてきたのです。確かに僕は疲れてるぞ、でも何に疲れてるのかなぁ。

 その日の日曜日は予定も無く、朝からテレビを見ていましたが、特に面白いものも無く、あのチラシが妙に気になりました。
チラシをとりだして見ているうちに、行こうかなと思うようになり、もし教会へ来た理由を聞かれたら「教会の建物に興味が
あったので、建物の見学に来ました」と言う事にして少しだけ行くことにしました。
もちろん家族には教会に行くと言うには勇気が無くて「ちょっと散歩」といって出掛けました。

 朝の10時20分を少しまわったころに教会に着きました。
玄関から少し離れたところで、本当に僕は今から教会に入るのか?と自分に問いかけました。
教会は聖人君子の入るところ?僕の家は仏教やし?場違い?と思っていることろへ後ろから「良くいらっしゃいました」
と女性に不意を衝かれ、勧められ、ついに入ってしまったのです。それにしてもその人はニコニコしていました。

 教会の正面では、ギターを抱えた僕と同じくらいの青年が歌を歌っていました。
歌謡曲でもなく、演歌でもなく、何んだろう?
受付があり、そこにいた女性に、聖書と聖歌という本を渡され、席を促されました。
少し恥ずかしいので、うしろの席に座りました。

 座っているうちにお尻のむずがゆさも無くなり、だんだん落ち着いてきました。
少し余裕ができたので、今日の教会に来た目的である建物を眺めました。
僕が想像していたような西洋的なステンドグラスもマリヤ像も無く、教会に来ている人も40人くらいがさまざまな
普段着で来ているのを見て、僕の想像していた教会のイメージとは少し違うなと思いました。

 やがて青年の歌が終わり司会者の女性が前に立ちました。入り口で出会ったあの女性です。
またもニコニコ顔で「良くいらっしゃいました」と言ったのです。少しの挨拶の後、一同は歌を歌い始めました
聞いたことが無い歌なので、僕はし歌えずにうつむいて黙っていましたら、斜め隣の年配の女性がニコニコしながら
寄ってきて、聖歌のページを開いてくれました。

 もう一冊の本「聖書」を開くときも先ほどの女性が開いてくださいましたが、辞書のような分厚さに驚いて、
それに気を取られて意味はもう一つ分かりませんでした。

 司会者が「証し」がある人いませんかとみんなに聞きました。
なんの事かと思っていると、一人の年配の男性が立ち上がり前に出で話し始めました。
どうやら飛び入りで話をしている感じです。
彼は自分の日々の生活の体験の中に神の助けがあったと実感し、感謝だといって喜んでいました。

 やがて、宣教師が前に立って話始めました。その人はフィンランド人でした。
司会者がその宣教師を皆に紹介しましたが、いくら有名でもやっぱり僕には知らない人です。
しかしその宣教師はやたらに日本語がうまいのに驚きました。そして彼はピアノを引きながら歌を歌い始めました。
味のある上手い歌です。
今日は彼のコンサートかなって思い始めたところ、ようやく彼は語り始めました。

 内容は全部はよく分かりませんでしたが、僕たちは罪を犯し、キリストがその身代わりになって十字架刑で
死んだ、僕たちは神様に愛されているよ、と言うものでした。

 罪を犯した?悪いことをした覚えがありませんでした。
しかし宣教師の言うには、うそをつく事、人を憎むこと、そして本当の神を神と認めず、そむくことが
罪だと言いました。確かにうそはよく付くけど。。。。
自分の力ですべてをしようとせず神に任せれば、なんだか自分でも分からない心の重たいものが軽くなると
言うのです。

 宣教師の話も終わり、再び歌が始まりました。
歌と一緒にかごが回ってきます。これが献金というものです。いわゆるお布施か?いくらが相場?
と思っているところへ、例の斜め隣の婦人が「献金は決して強制じゃないのよ」とささやき、僕のところを
飛ばしてかごを回しました。すこし胸をなでおろしました。

 やがて12時になり、終わったようです。
牧師の白髪の男性が、集会案内を始めました。

 心配する程のことも無く終わったのでホットしているところへ例の宣教師がニコニコして握手を求めて来ました。
少し照れながら、握手をすると流暢な日本語で、いろいろ話しかけてくれました。
何でも彼は昔はちよっと、やんちゃ坊主でしょっちゅう先生に怒られ、親が学校に呼び出されていたそうです。
そんな話に少し親近感を覚えました。

 そして、食事に誘われちょうどお腹が減ってたので一緒に教会堂の後ろのテーブルでカレーを食べました。
集会後、中には用事があって帰る人もいましたが、何人かで集まってそれぞれがカレーを食べています。
みんな楽しそうに色々と話しています。それほど騒がしくないのですが、平和が漂っている感じで
なんだかホットできる様な、雰囲気です。

 あっという間に時間が過ぎて、カレーまで食べて教会の玄関を出ました。
宣教師の話も全部は分かりませんでしたが、和やかな雰囲気に、また来てもいいかなと思えました。

おわり

あなたがたの思いわずらいを、一切神に委ねなさい。神があなた方のことを心配してくださるからです。聖書