結婚・・私たちの場合


 はじめに


「ほっとこらむ」に私たちの結婚のエピソードの話を載せているためか、しばしば「結婚・クリスチャン」というキーワードで「ほっとこらむ」を見に来てくださっている方がおられるようです。
とても嬉しいです。
でも、いざ開いてみたら、全く結婚に関係ない記事が載っていて、がっかりされたこともあるのではと思います。
もともと「ほっとこらむ」は日記(ブログ)のように作っているので、結婚がテーマではないのですが、せっかくですので、このページでは私たちの結婚のエピソードを書いた過去のものを、集めてみました。
あくまで私たちの場合であり、結婚してまだ数年の未熟な夫婦なので、参考になるかどうかは分かりませんし、時にはおのろけかと思われるかも知れませんが、よかったら読んでみてください。管理人より


晩婚(管理人の妻)


私たち夫婦の結婚の証しです。
4つに分けて書きました。
結婚を祈っておられる方に、神様のお導きがありますように。


お見合いまで1 (管理人妻)



4年前のある夏の日、部屋でお祈りをしていた。
「神様、もう疲れました。親に結婚を考えろと言われても考えられません。わかりません。
(もちろん親は心配のあまりいろいろ言うのですが。。。)
もし、あなたが私の結婚のことを
思っていてくださるなら、誰か間に立ってくれる人をあなたが立ててください。アーメン。ふ~。(ため息)」
「さあ、気分転換に平和堂(スーパー)にでも行ってこよう。」

そして守山駅前の平和堂へ行った。平和堂へ来るといつも「アヤコさん(仮名)、どうしてるかな~。元気かな~。」と思うのが習慣になっていた。
アヤコさんは同じ市内に住む方で、平和堂の近くにある教会の、牧師さんの奥さんで、50代の方である。

買い物をして、駐車場にむかって歩いていたら、向こうのほうから「お~い」と手を振って、バイクに乗ってやってくる婦人がいた。
「あっ、アヤコさんだ。お~い」私も手を振った。
久しぶりに出会った。1~2年ぶり?

立ち話をいろいろした。その中でアヤコさんは言った。
「ところで、あんた、歳いくつになったんや?」
「38歳です。」
「もう、そんなになったのか。そうか~。
どうや、お見合いせーへんか?私いま、そういう仕事してるんや。」

私はびっくりした。
「え~っ!、まさか、このアヤコさんがさっき祈った、答えの人?
祈ってからまだ1時間しかたってない、いくらなんでも早すぎる~!」
私はうろたえた。

結局、この方が主人と出会わせてくれることになるのである。


 お見合いまで2 (管理人の妻)



駅前の平和堂で、アヤコさんに出会って、彼女にお見合いを勧められた。
相手の方のことまで話してくださった。

結婚のことを祈っていながらも、うろたえた私は、適当に返事をして、言葉を濁し、そそくさと帰ってしまった。

うろたえた、というのは、、、いろいろあるのである。。。

それからしばらくして、また、アヤコさんと会った。
彼女はまた、お見合いを勧めてくれた。
こんどは、前の人とは違う方を紹介してくださった。
こんども、私は、適当に返事をして、そそくさと帰ってしまった。
相手がどうのというのでなく、また、アヤコさんに悪いと思っても、そういう行動をとってしまうのである。

家に帰ると、悔い改めた。

聖書に、こんな言葉がある。
「神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。力は神のものであることを。」

結婚のことはずっと、祈ってきたことであり、今、神様が、アヤコさんの口を通して、「どうや~お見合いせーへんか~。」とやさしく二度、言われたのである。

私は「ああ、神様すみませんでした。
もう遅いかもしれませんが、もし、まだ、あなたが私の結婚のことを思っていてくださるなら、もう一度チャンスをくださいませんか。

でも、きっと私は、アヤコさんに出会っても、同じように逃げてしまいます。

もしよかったら、アヤコさんと母を出会わせてくださいませんか。
母も(母はクリスチャン)私の結婚のことを祈っていますから。
そうしたら私も、もう逃げられませんから。
(アヤコさんと出会ったことを、親には話していなかった。)

もし、そうなったら、そのとき勧めてくださった人と、お見合いします。
あなたが、私のことを思ってくださっていることが分かりますから。」
と、そんなことはないだろうと思いつつも、お祈りした。

すると、何日かたったある日、本当に、アヤコさんと母は、偶然出会って、母は、アヤコさんから見合い話を持って帰ったのである。

そのとき持ち帰った見合い話の相手というのが、主人であった。



 お見合いまで3 (管理人妻)



さて、主人とお見合いすることになった。
ところが、主人の方では、別のお見合い話もきていて、主人は、先にそのお見合いをすることになった。

それで私は、「先にするお見合いがうまくいけば、この人(主人)と一生会うこともないんだな。」と思い、
「神様、このお話は、いったん天へお返しします。
結果が分かるまで、お見合いの件はすっかり忘れることにします。」と言って、主人の釣書(履歴書)を棚の上に、ポンッと置き、そして、本当にすっかり忘れて過ごしていた。

アヤコさんは、主人に、先にするお見合いの結果がわかったら、すぐに電話で知らせるように、と言っておられたようだ。

さて主人はお見合いした。相手の方はいい方で、主人は「いい人だなあ」と、思ったそうである。
でも、お断りされてしまった。

まじめな主人は、ショックだったけれど、すぐにアヤコさんに電話した。
主人   「ぼく、断わられました。」
アヤコさん「そ~か~。そしたら、こんどは、こっちやで~。」
主人   「ぼく~、こんな気持ちのまま、次のお見合いしてもいいんでしょうか?」
アヤコさん「かまへん、かまへん。じゃあ、次の日曜日にお見合いするで~。」
      プツッ(電話が切れる)

そんなわけで、主人は、アヤコさんに身をゆだね、傷心のまま、ちょっとやけくそで、私とお見合いしたのであった。

あとで聞いたら、ずいぶん、やけくそだったらしい。


 お見合いまで4 (管理人妻)


主人と私はお見合いした。そして、一年後、結婚した。

主人も私も、アヤコさんにとても感謝している。
主人と私は、キューピットとなってくれたアヤコさんのことを「キューピー・アヤちゃん」と、家でひそかに呼んでいる

アヤコさんは以前、母と私に「わたし、おせっかいやねん。自分でも分かってるんや~。」と言っていた。

人と人の間に立って、お世話するということは、たいへんな事だと思う。
感謝されることもあれば、そうでないこともある。
よかれと思ってしたことでも、誤解されたり、拒絶されたりする。

OK牧師もそうだった。

わたしには、とても真似できない。

アヤコさんは、今、牧師であるご主人と共に、キリスト教の開拓伝道をしに、九州へ引越しされた。

教会と「いのちのパン」という喫茶店を始められ、お二人は、神様と人との間に立って、人がキリストに出会うお世話をされている。

神様と、祈って下さっていたみなさんに、感謝します


あぁ、ごちそうさま(管理人)


内輪の話ですが、10月10日でとうとう(10 10)結婚丸2年となります。
結婚に関して、僕にふさわしい相手はいないのではないか思っていたのですが、まさに三十才台の最後の年にとうとう結婚できたのです。(平たく言えば39才)

それ以来一度も喧嘩もせず仲良く来れたのは、まさに相性がいいという他ありません。
(妻の言い分 = ひとえに私のおかげです)

世間では結婚した二人は「赤い糸で結ばれていた」なんていいますが、クリスチャンの私たちは「すべての事が神様の立てられた私たちの為のよいご計画」と信じています。

聖書に「私はあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。ー主の御告ーそれはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29-11)と書いてあるとおりです

妻に「君は僕と結婚するために、生まれてきたんだなぁ」なんて言っています。
(妻の言い分 = さぁ? 私のほうはどうかなぁ)

今日はおのろけ話で、あぁ、ごちそうさま



追伸  まだ新婚なのでお許しを・・・


特別な人(管理人の妻)

クリスチャンはいろいろなことを神様にお祈りする。
私は39歳で結婚した。それまで結婚について、いろいろなお祈りをしてきたけれど、ある時こうお祈りした。

「神様、わたしは琵琶湖が好きなので、いつも見て暮らしたいです。
滋賀には、家族もいるし、友人もいるから、ここにいたいです。
相手はクリスチャンで、サラリーマンがいいです。
ふつ~う(普通)の人がいいです。」

そう祈ったことをすっかり忘れていたのだけれど、それは神様の御心(みこころ)にかなったようで、しばらくして、主人と出会い結婚した。
もちろん、家族、友人のたくさんのお祈りと励ましに支えられてきた。

今も私は滋賀に住んいて、家のそばからは琵琶湖が見える。
自転車で10分走れば、湖岸に着く。家族、友人にいつでも会える。
そして、私の目から見ると、主人はとてもふつ~うの人だ。

最近、主人に「あなたほどふつ~うの人を私見たことない。」と言った。
すると、主人は答えた。
「ぼくは特別な人や。ぼくほど特別にふつうに造られた人は、なかなかいーひんで~。」
神様は、そこまで私のお祈りをきいてくださったのかー。すごすぎる。
そして、二人で顔を見合わせて大笑いした。


夫は イケメン (管理人の妻)

日本のクリスチャン人口は、とても少ない。
そして、女性が多い。
年頃のクリスチャンの女性は、たいてい、クリスチャンの男性と結婚することを願っている。

なぜなら、同じクリスチャンの人といっしょに、神様の祝福を受け、分かち合って生きていきたいからである。

20代の頃、若者のための、クリスチャン結婚セミナーに参加したことがある。
聖書から、神様の語られる結婚について、学ぶのである。

となりにいた女性が、「この中から、結婚相手を見つけろと言われたら、お先真っ暗やわ。」と言った。
そのとなりにいた牧師さんが、吹き出して笑っていた。

それだけ覚えている。(男性のみなさん、すみません。)

最近の、若いクリスチャン女性の願いは、イケメン・クリスチャンと結婚することらしい。

そういえば、私も、トム・クルーズや、安部寛さんなど、いわゆるイケメン俳優さんが好きだった。
友人には、「あかんで~それは。いいかげんに目を覚ませ」と、言われていた。

実際、好きになるのもそんな人で、あるとき、友人に応援してもらって、ダッシュして、手紙をその人に渡しにいった。
そして、「神様、この人とつきあえたら、信仰を捨ててもかまいません。」と、祈った。

そんな祈りは、かなえられるはずもなく、撃沈。。。
でも、いろいろ楽しかった思い出である。

婚約式では、友人が、主人に近寄り、「あなたが、彼女のトムさんですか~。ほぉ~」と、あいさつしていた。

主人は夕食のあと、たいていテレビを見る。
わたしは、「テレビより、あなたの顔を見ているほうが、おもしろいわ。」と言って、主人の顔をながめながら、用事をしている。

主人は「見んといて~。いくら僕が男前でも、恥ずかしいやんか~。」という。

私は「おもしろい」と言ってるだけなんだけどなぁ。。。
でもまあ、そういうことにしておこう。


二人で歩く道 1 (管理人の妻)

夫とつきあっていた頃のことである。

お見合いをして次に会った時には、私は「この人と結婚したら私はきっと幸せになるわ~。」と思った。
「けれど、この人はどうだろう。私と結婚して幸せになるかなあ。う~ん、私ほどは幸せにはならないような。。。

まあ、自分のことは自分で決めてもらおう。」そうすることにした。


さて、それからしばらくして、
わたしたちは一緒にどこかへ出かけて、帰り道を歩いていた。
私は、夫の後ろを歩いていた。

ふと、「なんだか、一緒にいる方が自然だなぁ。」と思った。
すると、夫がふりかえり、こう言った。
「なんか、一緒にいることの方が自然やなぁ。」

びっくりした。
同じ時に同じことを思うなんて、不思議だなぁと思った。

そんなわけで、今も一緒に歩いている。

二人で歩く道 2 (管理人の妻)


結婚間もない頃は、夫の2、3歩後ろを歩いていた私。
それが今では、いつの間にか、夫の2、3歩前を歩いている。

先日、夫と歩いていて、私は「これではいけない。妻は夫に従わないとね。」と言って、夫の後ろを歩き出した。

しばらく二人とも無言で歩いた。そのうちに、夫がふり返り、言った。

「あかん、落ち着かへんわ~。不自然や。ぼくの前を歩いて~。」

私も言った。
「私も、落ち着かへんわ~。私の後ろにいてくれないと。」

そんなわけで、元に戻って、私は夫の2,3歩前を歩き出した。
しばらくして、二人とも、「やっぱり、これがいい。」と、安心して、歩き続けた。

そんなわけで、今はこうして一緒に歩いている。